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神の武具②

テキスト

エペソ6:10-18

6:17 救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。

6:18 あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。

 

今私たちは、この世に生きている間、霊的な戦いがあるということを学んでいます。そしてその戦いに勝利するために神様が神の武具を準備してくださっていることも学びました。きょうは、最後の2つの武具について学びます。それは、6番目と7番目です。

 

(1)御霊の剣を取る

エペソ6:17をお読みします。

6:17 救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。ヘブル4:12

 

6番目の武具、それは神のことばです。御霊の剣あるとあります。そしてこれは武具のなかでも敵を攻撃する武器のひとつです。

 

①御霊の剣の役割

剣の役割は何でしょうか。キラキラと光らせて、見せびらかせて相手をビビらせることでしょうか。それももしかたしたらあるかもしれませんが、一番大切なことは、相手を攻撃して痛手を負わせて退散させることです。

 

霊的には、サタンに痛手を負わせることができるものです。ですからみ言葉は重要です。私たちがみ言葉を覚えるとき、口で何度も口ずさんで唱える時、私たちのことを恐れおののくのです。そこに神様のご命令があるからです。神様の権威と力があるからです。それがみ言葉です。

 

私たちが車を運転しているときに、たとえば高速道路を運転しているとします。油断してスピードメータを意識していなかったとします。突然、後方からパトカーのサイレンが鳴ったらどうでしょうか。ビビりますね。ビビるどころか、「しまった、油断していた」と思います。

 

警察は取り締まって安全を守るのが仕事であって、私たちをビビらせるためではないのです。たとえで話しています。私たちが聖書のお言葉を大切にして、これを御霊の剣として用いていくなら、私たちの敵である悪霊たちはビビるのです。恐れるのです。ですから、私たちは聖書のお言葉を大切にしましょう。

 

②み言葉を大切にする

大切にするということはどういうことでしょうか。これを読むとき、あるいは聞く時、「あっそう。ふーん、ふーん。」と適当に扱わないということです。全部が全部ではないと思いますが、心動かすみ言葉、心に触れるみ言葉に出会ったとき、これを大切にするということです。そのみ言葉の聖書箇所をメモしましょう。ヨハネ3:16とか、マタイ11:28とか、その聖書の番地だけでもメモしておくのです。ですから、礼拝の時もメモ帳とペンを用意しましょう。聞きながら、メモするようにしましょう。

 

あとで、その聖書箇所を開きましょう。そしてノートや小さなメモ帳に書き写します。そしてそれを覚えましょう。何度も何度も口で唱えます。自分の耳で聞こえるように口で告白します。自分の耳に聞こえるように口で言うことが重要です。すると、頭に入って来ます。覚えます。覚えた後、どうしましょうか。次の日も、覚えているかどうか口で告白しましょう。これを暗唱といいます。暗唱できたらどうしましょうか。また次の日も暗唱しましょう。次の日も暗唱しましょう。もし、一つの聖句が暗唱できたらどうなるのでしょうか。もう、いつでも聖書のお言葉を取り出せる引き出しのようになります。

 

どんな場所でも、どんな状況でもいつでも聖書のお言葉を取り出すことができます。私たちは歩く聖書となることができます。そしてだれにでも聖書を伝えることができるようになります。すなわち、神様のことをお伝えすることができるのです。

 

それだけでなく、暗唱したお言葉を通して聖霊様が働かれます。日常生活の中で、聖霊様が覚えた御言葉に力を注いでくださいます。思い起こさせてくださいます。聖霊様の働かれるチャンスを大きく広げることにもなりますね。

 

聖霊様が御言葉を通して働かれたら、私たちの心は聖霊様の励ましと力づけを受けることができるようになります。

 

恐れる心が入りそうになった時、暗唱した聖書のお言葉を引き出して、何度も何度も口で告白します。「恐れるな。わたしがあなたとともにいる。」

 

すると、そのお言葉が直接私に語り掛けられる神様のお言葉として心に響いてくるのです。神様からの励ましと慰め、力を受け取ることができますね。そのように、み言葉を暗唱する生活をしていくなら、あなたの心はいつも元気でいることができます。ちょうど、バランスのとれた栄養満点の食生活を毎日するような感覚です。

 

ハレルヤ。ですから、この聖書のお言葉を大切にしていきましょう。もし、あんまり心が元気がないと感じている方がいるなら、あなたが出会った聖書のお言葉を暗唱することをお勧めします。

 

③神の言葉は生きていて敵を退ける

ヘブル4:12をお読みします。

4:12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。

 

神様のお言葉生きています。そして力があるのです。そして両刃の剣よりももっと鋭いのです。私たちの心の思いを判別することができるとありますね。私たちの心の思いはかなり入り組んでいます。複雑です。自分でもよくわからないことがあります。でも聖書はそれを判別しますよと教えています。

 

それだけでなく、剣です。敵をうち砕くのです。マタイ4:3-4をお読みします。

4:3 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」

4:4 イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」

 

この場面は、サタン、試みる者が近づいてイエス様を誘惑した場面です。イエス様は40日断食をしていました。40日断食することが神様の願いでした。しかし、もう、身体から力が抜けている状態でした。苦しかったのです。食べることで力を受けたいと強く思いました。でもこの断食は神様のご命令であり、神様のお心だったのです。

そこでサタンが誘惑してきたのです。「あなたは神の御子でしょう。なんでもできるではありませんか。あなた、そんなにお腹が空いているなら、この石ころをパンに変えればいいでしょう。お安い御用ではありませんか。そうすればお腹いっぱいパンを食べて満腹にできるでしょう。そんな無理して断食なんかやめてしまいなさいよ。」

 

サタンは空腹という肉体の弱さをつついてきました。そして神の御子という心のプライドをつついてきたのです。それに対して、イエス様は何といったのでしょうか。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」です。

 

「わたしは父なる神様のお心を大切にするのだ。なぜなら、『人はパンだけでなく、神の口から出るお言葉によって生きる』とみ言葉が宣言している。神のお心に背いてまで、自分勝手にパンを食べたりはしないのだ。」といってサタンを退けました。イエス様は、神の御子として正しくみ言葉を持っていました。そしてそのお言葉によってサタンを退けたのです。

 

ここにわたしたちへのお手本があります。私たちも同じように、敵の攻撃を退けるために聖書のお言葉を取りましょう。聖書のお言葉によって信仰に固く立ちましょう。そうすればサタンは退いていくのです。

 

(2)御霊によって祈る

7番目の武具は何でしょうか。それは祈りです。エペソ6:18をお読みします。

6:18 あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。

 

どんなときにも御霊によって祈るということが記されています。祈ることですが、ここでは特に御霊によってとあります。御霊によって祈るとはどんなことをいっているのでしょうか。

 

その対極にある祈りは何でしょうか。それは、決められた項目に従って、決められたように願い求めて祈る祈りだと思います。もちろん、このお祈りも神様に祈るわけですから、神様は聞いてくださると信じます。でも、ここではさらに御霊によってと強調されているのです。御霊の導き、促し、御声を求めて祈るということです。

 

ときどき、どのように祈ったらいいのかわからないこともあります。でも、主に求めて「主よ。助けてください。」と素直に心を貧しくして祈ることが大切ではないでしょうか。すると聖霊が私たちの祈りを助けてくださいます。

 

ローマ8:26をお読みします。

8:26 同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。

 

ハレルヤ。聖霊様ご自身が深いうめきを与えて下さり、祈らさせてくださるとの約束ですから感謝です。

 

(3)とりなしの祈り

①アマレクとの戦い

聖書の中では、幾つか、とりなしの祈りで有名な箇所があります。出エジプト17:8-13をお読みします。

17:8 さて、アマレクが来て、レフィディムでイスラエルと戦った。

17:9 モーセはヨシュアに言った。「男たちを選び、出て行ってアマレクと戦いなさい。私は明日、神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」

17:10 ヨシュアはモーセが言ったとおりにして、アマレクと戦った。モーセとアロンとフルは丘の頂に登った。

17:11 モーセが手を高く上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になった。

17:12 モーセの手が重くなると、彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いた。モーセはその上に腰掛け、アロンとフルは、一人はこちらから、一人はあちらから、モーセの手を支えた。それで彼の両手は日が沈むまで、しっかり上げられていた。

17:13 ヨシュアは、アマレクとその民を剣の刃で討ち破った。

 

この聖書の箇所は、モーセに導かれてエジプトから出て来たイスラエルの民が、レフィディムという場所に差し掛かったときの大きなできごとのことです。イスラエルにとっては大きな試練があったのです。アマレクという敵が突然襲って来たということです。

 

彼らは、イスラエルの一番の後方で進むスピードがゆっくりとなっているグループを狙い撃ちにしました。彼らは疲れて弱っていたから一番後ろを歩いていたのです。その後ろの弱いところをねらったのです。多くのイスラエル人が倒れました。そこでモーセは、アマレクと戦う部隊を編成しました。ヨシュアが将軍として戦いを導きました。

 

なんとその戦いは熾烈を極めました。どっちかが圧倒的に強いものではなかったのです。五分五分の戦いでした。神様はあえてイスラエルにその戦いを経験させました。いつも圧倒的な勝利、神様の不思議な奇跡の勝利ということではないことがわかります。泥臭い戦いがあることがわかります。

 

アマレクとの戦いは、夕方日が沈むまで行われました。最後には、神様は勝利を与えてくださいました。けれどもそれは、モーセのとりなしの祈りによってもたらされたのです。彼が手を上げているときは、ヨシュアの軍勢が優勢になったのです。疲れて手を降ろすと、なんとアマレクが優勢になったのです。ほんとに泥臭いですね。

 

②祈りの大切さととりなしの大切さ

これは、祈りの大切さを教えています。神様は私たちが絶えず祈ることを求めておられるということがわかります。手を上げるというのは、祈りの行為です。ですから、私たちも毎日祈る必要があります。たえず祈る必要があります。祈りによって敵の軍勢を押しやり、私たちが優勢になるのですから、祈らないとたいへんですね。

 

この記事は、私たちに祈りの重要性を教えてくれるとともに、とりなしの祈りの大切さを教えています。とりなしって何でしょうか。他の人のために祈ってあげるということです。

 

他の人にはいろんな必要があります。まだ救われていない、イエス様を信じることができないという必要かもしれません。あるいは、病気がある、精神的に苦しい。あるいは、仕事上の課題、悩みがある、人間関係がうまくいかないなど様々です。その一つ一つに対してとりなしの祈りをしていくのです。本人に代わって祈りをささげていくのです。これがとりなしの祈りです。本人は祈ることができないからです。祈ることのできる人が、その人に代わって祈るのです。