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テキスト
エペソ6:10-18
6:14 そして、堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、
6:15 足には平和の福音の備えをはきなさい。
6:16 これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。
6:17 救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。
先週、私たちはこの世にあって霊的な戦いがあることを学びました。その霊の戦に勝利するためには私たちの側でやるべきことがあります。それは、神様が備えてくださった神の武具を身に着けるということです。この武具はすでに神様が備えてくださっています。それを受け取って身につければいいのです。全部で7つあります。先週、神の武具の一つだけを見てきました。真理の帯について見てきました。真理の帯、それはイエス様を腰に巻くことです。そこは力の源です。そこにイエス様をしっかりと巻くのです。イエス様以外のものでベルトをしていたら、それを取り外す必要があります。なぜなら、悪魔はそれをよく知っていて、そこをねらって攻撃してくるからです。イエス様を巻きましょう。そして真理の御霊である聖霊様に頼るということです。
(1)胸に正義の胸当てを着ける
今日は2番目からです。2番目は何でしょうか。エペソ6:14をお読みします。
6:14 そして、堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、
胸に正義の胸当てを着けるということです。このみ言葉が知るされた時代はいつでしょうか。ローマ帝国が世界を支配していました。ですから、神の武具というときは、パウロの時代の兵士の様子、すなわちローマ兵の姿について少し学ぶ必要があります。
胸当てとはどんなものでしょうか。敵の攻撃から身を守るものです。特に胸や心臓などの内臓を守りました。やられてしまうと命の危機に直結します。敵の攻撃は、弓矢、槍、剣、投石です。それらに耐えるだけの構造でないといけません。十分耐える材料にしないといけません。攻撃は鉄の鋭さも持っています。ですから鉄製の板でできています。この胸当てを着けたときは、ずっしりと重さを感じたのです。
パウロは、この胸当てを「正義の胸当て」と言っています。正義がないといけません。敵の攻撃にやられてしまいます。正義です。罪がない、清さがあるということです。私たちは毎日イエス様の十字架の前に出て、自分の罪を告白して悔い改めることが大切です。それによって日々の罪を清めていただくことができます。このことはとても大切です。サタンは私たちの罪を見つけて攻撃するからです。
そして日々の行いが正しくあるように求めていきましょう。清さを保つことです。ニュースを見ていると、偉い政治家や上に立つ役人が、賄賂などの贈収賄で逮捕される事件がときどき出てきます。身にやましいことがあると、人の前に立ち続けることは難しいのです。
もし私たちが、正義の胸当てをきちんと正しく身に着けているなら、私たちの大切な部分は守られるのです。それだけでなく、心の内側の弱い部分も守られるのです。
内側の弱い部分とは何でしょうか。それはわたしたちの肉の働きです。そこが攻撃されると肉の働きが出てくるのです。ここを私たちは治める必要があります。そのためには日々の悔い改めが必要です。ですから日々、悔い改めていきましょう。そしてこの正義の胸当てをしっかり身につけましょう。
(2)足には平和の福音の備えを履く
エペソ6:15をお読みします。
6:15 足には平和の福音の備えをはきなさい。
3番目は履物のことを言っています。ローマ兵はどんな履物を履いていたのでしょうか。サンダルのような革製の靴を履いていました。カルガと言いました。底の部分は、何本も鉄の鋲が打たれていて、靴底を固く固定するとともに、靴底の耐久性を高めていました。この鋲があることで地面が直接皮に触れることがなく、1000kmほど歩くことができたそうです。そしてその鋲は滑り止めにもなりました。
パウロは、ここで私たちが身につけるべき武具として、平和の福音の備えと表現しています。霊的な戦いの武器の話をしているのに、どうして平和の福音の備えなのでしょうか。
平和の福音とは何でしょうか。これはイエス様の十字架のみわざのことです。イエス様は十字架で何を解決されたのでしょうか。そうです。私たちの罪の身代わりとなって死なれました。私たちの罪を解決してくださいました。その結果、イエス様を信じ受け入れる者は、罪のないものとされています。神様に受け入れられる者となりました。神様との平和を持っています。これが平和の福音です。十字架は、私たちに神様との和解をもたらしてくださいました。言い換えると、平和の良い知らせです。
この平和の良い知らせを携えて、どこまでもどこまでも行く準備をしなさいということです。この沖縄からもうどこにも出ていかないというのではなく、この那覇や浦添からもうどこにも出ていかないというのでもなく、制限をかけずに、どこまでも行く準備をすること、これが平和の福音の備えを履くということです。
この平和の福音の備えを履くとどうなるでしょうか。何が起こるのでしょうか。いつでもどこでもどんな状況でも福音を語ることができるようになります。「ちょっと待って、トラクトを取って来るから来週まで待ってね」では遅いのです。「聖書を良く学んでから、それからわかりやすく教えますね。だからそれまで待っていてくださいね」では遅いのです。
チャンスは何度も訪れることは限らないからです。わずかなチャンスにイエス様をお伝えしましょう。そのためには、心の内に大切なみ言葉を入れて暗唱し、いつでも取り出せるようにしておく必要があります。これが備えです。いつでも福音を伝える準備ができていると、すぐにイエス様を紹介することができます。たましいを救いに導くことができます。
「たましいが救われる」と言いますが、これは、この世の支配者であるサタンからたましいを救い出すことを意味しています。この救われた人はどうなりますか。クリスチャンになります。ということは、この人も同じDNAを持つことになります。神様を信じて、神様の武具を装着するようになるのです。ということは、一人の人がイエス様を信じるということは、サタンにとっては敵が一人増えるということを意味しています。ですから、サタンも必死です。サタンの国が脅かされるようになるからです。
(3)信仰の盾を取る
エペソ6:16をお読みします。
6:16 これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。
ローマの兵士は、大きな盾を持っていました。それによってからだ全体を覆うことができました。敵から放たれる何百本もの矢をこれで防ぐことができました。投げ槍や投石からも身を守ることができました。このように盾は防御で非常に重要です。
パウロは、悪い者が放つ火矢を消すために信仰の盾を取りなさいと言っています。サタンはどんな火矢を放ってくるでしょうか。まず、嘘・偽りです。間違った情報、最近のことばではフェイクニュースです。それは人々を間違った方向に導いてしまいます。間違った行動や考えを持つようになるのです。
そして、恐れ、不安、心配事です。心を縮こまらせて暗くさせてしまいます。やがて告白する言葉は否定的、悲観的になってしまいます。これが敵の放つ火矢です。
そして次に後悔や罪責感、思いわずらいです。過去犯した過ちがぐるぐると頭をめぐります。そして「もうだめだ、お前は救われない」と攻めて来ます。思い出しましょう。私たちの救いは、私たちの功績ではないのです。イエス様の恵みによるのです。もし悔い改めたなら、その時に、「イエス様の血潮がすべての罪を清めた」と告白する必要があります。
そして敵の放つ火矢は、疑いや不信仰です。サタンが最初に人間をだました手口は、これでした。「本当に神様はそのように言われたのですか。」そしてすかさず人に言いました。「大丈夫、食べても死にはしません。神様は人間の目が開かれて神のようになるのを恐れているのです。」神様の愛を疑わせようとしたのです。そして人間はその言葉にそそのかされてしまいました。サタンの言うことを信じたのです。神様の言われたことよりも、サタンの言うことを選択したのです。それを信じたのです。これがサタンの火矢です。
これらの火矢を防ぐのは、信仰ですよと教えています。私たちにはすでに信仰が与えられています。恵みによってイエス様を受け入れました。これは奇跡の出来事です。聖霊様が導かれないならば誰もイエス様を受け取ることができないからです。イエス様が私たちを導いてこの信仰に引き入れてくださった、この大きな恵みに私は預かっているということを再確認しましょう。
そして、私たちには聖書のお言葉があります。多くの記事を読んで学びましょう。そこには、信仰の先輩たちが築いてきた証があるのです。その証から学ぶとき私たちの信仰が強められるのです。私たちが自分の力で信仰を作り上げる必要はありません。多くの先輩たちが通って来た信仰の道を学ぶことによってその同じ信仰に立つことができるからです。ハレルヤ。これは恵みです。
(4)救いのかぶとをかぶる
エペソ6:17をお読みします。
6:17 救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。
四つ目の神の武具は、救いのかぶとです。かぶとの働きは何でしょうか。敵の攻撃から頭を守ることです。
日本で、バイクを乗る人に義務付けられているものは何でしょうか。身に着けるものです。はい。ヘルメットです。身体の一番大切なところ、頭を守るからです。頭が守られれば、いのちをつなぐことができます。危険の多い工場や建築作業の現場でも必ずヘルメットを着用します。
同じように戦いに出る時には、このかぶとをかぶるのです。すると飛んで来る矢から頭が守られます。敵の剣を受けたとしても守ることができます。だから重要です。このかぶとには名前があります。救いのかぶとです。救いのかぶとで頭を守るのです。私たちはどこからどうやって救われたのか、出所を明確にしておく必要があります。
闇の中にいた自分を光の中に移してくださったという救いの確信に立つ必要があります。そしてなぜ救われているのか、なぜ救われていないのかを明確に区別して知る必要があるのです。救いは、イエス様の十字架によって成し遂げられました。人々はこの救いを受け取ることができます。自分の意思によってイエス様から受け取るのです。自分の意思と告白と罪の悔い改めです。そしてイエス様を心の中にお迎えするのです。救いを受け取るときには、必ずこの祈りが必要です。
ローマ10:9-10をお読みします。
10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。
10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
私たちが救いの確信に堅く立ち、み言葉の裏付けをもって信仰に立って揺らぐことがないなら、敵の攻撃は何の意味もなさなくなります。サタンも打っても無駄だと思うところには、火矢を放ってくることはないのです。「ああ。ここはダメだ。防御が固すぎて歯が立たない。」