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異邦人にも注がれた聖霊

テキスト

使徒10:34-48

10:44 ペテロがなおもこれらのことを話し続けていると、みことばを聞いていたすべての人々に、聖霊が下った。

10:45 割礼を受けている信者で、ペテロと一緒に来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたことに驚いた。

10:46 彼らが異言を語り、神を賛美するのを聞いたからである。するとペテロは言った。

10:47 「この人たちが水でバプテスマを受けるのを、だれが妨げることができるでしょうか。私たちと同じように聖霊を受けたのですから。」

10:48 ペテロはコルネリウスたちに命じて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けさせた。それから、彼らはペテロに願って、何日か滞在してもらった。

 

(1)コルネリウスの招き

①カイサリヤの百人隊長コルネリウス

先ほどのテキストは、カイサリアでのできごとです。ペテロはヤッフォというところにいましたので、約50km北の方に上ったところにありました。コルネリウスという百人隊長が登場します。

 

彼も、家族もみな敬虔な人たちでした。彼はローマの百人隊長ですから、ユダヤ人ではありません。でも敬虔な人とあるので、ユダヤの教えに従っていたということです。そして午後3時の祈りもユダヤ人のように欠かさずに守っていたのです。

 

②ペテロを招きなさいという幻

ところが、いつものように祈っているとコルネリウスは幻を見たというのです。何と、御使いが現れて、彼に神様からのお告げを告げたのです。「ヤッフォにいるペテロを招きなさい」というお告げでした。彼は、すぐにしもべを3人派遣しました。

 

ところが、この3人のしもべたちがヤッフォに到着しようとするとき、ペテロは正午の祈りをしていました。このとき、ペテロにも幻が現れました。なんと3回も同じことが繰り返されたのです。その幻は、次のようなものでした。

 

天から4隅を吊るされたカゴが下りてきました。そのカゴには、いろんな動物が載っていました。ユダヤ人の律法で食べてはいけない動物たちが載っていたのです。そして声がしました。「さあ調理して食べなさい。」「いいえ主よ。これらのきよくない動物を食べたことがありません。」「神が清めたものと清くないと言ってはいけません。」

 

この幻が3回起こりました。するとすぐに3人が到着したのです。そして聖霊様が語られました。「彼らと一緒に行きなさい」 彼らは異邦人でした。ユダヤ人が異邦人の中に入っていくことはありませんでした。でも、これは神様のお心だとわかったのです。その続きが今日先ほどお読みした部分です。

 

③ペテロの説教中に聖霊の賜物が注がれる

ペテロは、いつものようにイエス様がなぜこの地上に来られたのかを説教しました。福音のメッセージを語ったのです。すると、何とペテロがまだ話している間に聖霊が下りました。10:44の聖霊が下ったという言葉の「下った」は原語のギリシャ語では、エピピプトという語が使われています。これは「愛情を込めて抱きしめる」という意味があります。

 

話を聞いている間に、聖霊様によって抱きしめられたのです。優しく愛情をもって聖霊様が包まれたのです。そして聖霊の賜物が注がれました。彼らも異言を語ったのです。そして神様を賛美したというのです。

 

ここが異邦人、すなわちユダヤ人以外の人々に福音の扉が開かれていった瞬間でした。ユダヤ人という先祖代々の血を引いた人々ではない人も、イエス様の恵みにあずかることができるということが分かったのです。イエス様を信じる者はだれでも、救われて、聖霊の賜物をいただくことができるということが分かったのです。

 

(2)エペソでの聖霊のバプテスマ

①聖霊を受けましたか

もう一つ、聖霊を受けるという記事を見ていきましょう。使徒19章1-6をお読みします。

19:1 アポロがコリントにいたときのことであった。パウロは内陸の地方を通ってエペソに下り、何人かの弟子たちに出会った。

19:2 彼らに「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは「いいえ、聖霊がおられるのかどうか、聞いたこともありません」と答えた。

19:3 「それでは、どのようなバプテスマを受けたのですか」と尋ねると、彼らは「ヨハネのバプテスマです」と答えた。

19:4 そこでパウロは言った。「ヨハネは、自分の後に来られる方、すなわちイエスを信じるように人々に告げ、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」

19:5 これを聞いた彼らは、主イエスの名によってバプテスマを受けた。

19:6 パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が彼らに臨み、彼らは異言を語ったり、預言したりした。

 

 

 

ここでパウロが登場します。パウロがエペソに宣教旅行に出かけた時の出来事です。そこには、アポロが導いて育てた弟子たち、信者たちがいたのです。でも、パウロは、自分が育てて来た弟子たちとどこかが違うと直感しました。一緒に礼拝をしても霊的雰囲気が違います。祈っても異言もありません。すかさず質問をしました。「聖霊を受けましたか。」「いいえ。聞いたことがありません。」「どんなバプテスマを受けましたか。」「ヨハネのバプテスマです。」パウロは彼らには聖霊のバプテスマが必要だとすぐにわかりました。パウロにとって聖霊のバプテスマは標準だったことがわかります。

 

②パウロが手を置いて聖霊の賜物を授けた

使徒19:6をもう一度お読みします。

19:6 パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が彼らに臨み、彼らは異言を語ったり、預言したりした。

 

 

パウロが手を置くと、このエペソの弟子たちは聖霊を受けました。その結果、彼らは異言を語り預言をしたのです。それが聖霊を受けた結果でした。

 

ペテロがカイサリヤに行ったとき、カイサリヤの人々の上にペテロは手を置きませんでした。メッセージを語っているときに聖霊が下ったのです。このエペソでパウロは手を置きました。すると聖霊が臨んだのです。聖霊様はいろんな方法を持っておられます。かならず手を置く必要もないということです。ある人は、自分で祈っているときに聖霊に満たされて異言を語り出したという人もいます。

 

③聖霊に満たされる目的は何か

しばらく前になぜ聖霊のバプテスマが必要かということを学びました。それは、私たちはイエス様の証人であるということです。そしてそのためには力が必要であるということです。イエス様の証人となるためには自分の力ではできません。あまりにも弱すぎます。どうしても聖霊様の助けと力が必要です。

 

ペテロはイエス様を3回も否定しました。でも聖霊に満たされてからはものすごく大胆な人に変えられました。このように上から与えれる力がどうしても必要です。この力を受ける時、クリスチャン生活がものすごく楽になるのです。祈りもリラックスして祈ることができるようになります。聖霊様が異言を通して祈らせてくださるからです。

 

使徒1:8をお読みします。

1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」

 

ですから、私たちは力強い証人をめざして聖霊のバプテスマを求めていきましょう。