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死人をよみがえらせる神

テキスト 使徒9:32-43

9:32 さて、ペテロがあらゆるところを巡回していたときのことであった。彼は、リダに住む聖徒たちのところにも下って行った。

9:33 そこで彼は、アイネアという名で、八年間床についている人に出会った。彼は中風であった。

9:34 ペテロは彼に言った。「アイネア、イエス・キリストがあなたを癒やしてくださいます。立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい。」すると、彼はただちに立ち上がった。

9:35 リダとシャロンに住む人々はみなアイネアを見て、主に立ち返った。

 

(1)アイネアという男性のいやし

ここで一人の病気の男性が登場します。アイネアという中風の男性です。中風という病気は、今で言ったら、脳卒中ということになると思います。脳の血管が詰まったり破れたりすることで体に障害が出てしまう病気ですね。結果的に、半身麻痺や言語障害などが出てきます。その中でもこのアイネアは重症でした。なぜなら、ずっと8年間も寝たきり状態になっていたからです。右側か左側かどちらかが全く動かせなくなっていたと思われます。

 

ペテロは、リダに住む弟子たちが彼の世話をしているのを見たのです。その状態に心を痛めました。でもペテロは、すぐに聖霊様の声を聞きます。「この人を癒やしてあげなさい。」ペテロは何度もその声を聞いたきたと思います。前回の「美しの門」でいやした生まれつき足のきかない人の時を思い出してみましょう。彼に言ったことは、「金銀は私にはない。私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり歩きなさい」という言葉でした。

 

ペテロは聖霊様が語られた時に、この男性が癒やされている姿を、既に幻で見ていたのだと思います。だから、大胆に宣言することができました。もし、「いやされるかどうかはやってみないとわからない」という状態だと、「わたしにあるものをあげよう」とは言えないと思います。

 

もう一度9:34をお読みします。

9:34 ペテロは彼に言った。「アイネア、イエス・キリストがあなたを癒やしてくださいます。立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい。」すると、彼はただちに立ち上がった。

 

ここでも、確信に満ちた預言的な言葉が先でした。「イエス様があなたをいやしてくださいます」何と力ある言葉でしょうか。ここにはいさやれないかもしれないという疑いの信仰は微塵もありません。ゼロです。これほど神様のいやしが顕著に表されました。まるでイエス様のようです。

 

これが使徒の時代の聖霊様の御業でした。今の時代、そのような神様の顕著な御業は失われています。これはこの使徒たちの時代から時代とともに徐々に失われていったものです。しかし、今は終わりの時代です。神様はもう一度、この終わりの時代に、「わたしの霊をすべての人に注ぐ」と言われました。ですから、もう一度、使徒の時代と同じような、ものすごい神様の働きがあると信じます。期待しています。それがこれからの時代です。

 

 

(2)女弟子タビタのよみがえり

その後、ペテロは一人の女弟子のために出かけていきます。使徒9:36-43をお読みします。

9:36 またヤッファに、その名をタビタ、ギリシア語に訳せばドルカスという女の弟子がいた。彼女は多くの良いわざと施しをしていた。

9:37 ところが、そのころ彼女は病気になって死んだ。人々は遺体を洗って、屋上の部屋に安置した。

9:38 リダはヤッファに近かったので、ペテロがそこにいると聞いた弟子たちは、人を二人、彼のところに遣わして、「私たちのところまで、すぐ来てください」と頼んだ。

9:39 そこで、ペテロは立って二人と一緒に出かけた。ペテロが到着すると、彼らはペテロを屋上の部屋に案内した。やもめたちはみな彼のところに来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。

9:40 ペテロは皆を外に出し、ひざまずいて祈った。そして、遺体の方を向いて、「タビタ、起きなさい」と言った。すると彼女は目を開け、ペテロを見て起き上がった。

9:41 そこで、ペテロは手を貸して彼女を立たせた。そして聖徒たちとやもめたちを呼んで、生きている彼女を見せた。

9:42 このことがヤッファ中に知れ渡り、多くの人々が主を信じた。

9:43 ペテロはかなりの期間、ヤッファで、シモンという皮なめし職人のところに滞在した。

 

 

その女弟子の名前はタビタでした。彼女は、多くの良いわざと施しをしていたと表現されています。信じる人たちの模範的な人でした。困っている人たちのお世話をする人でした。ここにやもめたちも登場します。彼女たちの下着も、上着も作ってあげていたと書かれています。タビタの特技は裁縫だったようです。自分の特技を生かしてやもめたちの世話をしていたのです。皆から好かれていたことがわかります。

 

ペテロが言ったときには、お通夜が始まっていました。大勢の人が集まってタビタがやってくれたことを思い出しては、涙を流していたのです。

 

ペテロは、この時、立ち止まって考えます。そして祈ったとあります。これまで、病気の人のためにたくさんの癒しを行ってきました。しかし、今回はもう死んでしまっています。初めてのことです。そこで神様に求めたのです。

 

しばらくペテロと神様との間に押し問答があったと想像します。「神様、どうぞタビタの命を帰してください」「いいえ。タビタは私が呼び寄せたのです。」「神様、どうぞこの地上ではタビタが必要です。タビタの命を帰してください」しばらく祈る時間をとったと思います。その後、神様はタビタを帰すことを了承されたのだと思います。

 

タビタ本人はどうだったでしょうか。イエス様はタビタにも聞いたと思います。「タビタ、地上の人々があなたの帰りを待っています。帰りますか。」「いいえ。地上に戻りたくありません。あなたのすぐそばで過ごしていたいのです。ここを離れたくありません。」きっとそのように言ったのではないかと想像します。

 

でも、イエス様は言います。「やがてまたわたしのところに戻ることができます。しばらく地上でみんなのために働いてくれますか。」と言ってタビタを説得したのではないでしょうか。

 

その後、ペテロはタビタに命令します。「タビタ、起きなさい」です。なんと、死んでもうしばらく経っているのに、息を吹き返したのです。ハレルヤ。一緒にいた人たちはどれだけ深い慰めと励ましを受けたでしょうか。感謝ですね。

このような偉大な奇跡を聖霊様はすることができます。ハレルヤ。

 

(3)いやしや奇跡は何のためにあるのか

①心を開く人々が信じるため

皆さん。このような偉大な奇跡には、目的があります。それは、第一番目に心を開く人々が信じるためです。9:35をもう一度お読みします。

9:35 リダとシャロンに住む人々はみなアイネアを見て、主に立ち返った。

 

アイネアがいやされたのを、その周辺に住んでいる人々が目撃したのです。「なんということか。あの中風で寝たきりだったアイネアが立って元気に歩いているではないか。イエス様は生きておられる」といって多くの人々がイエス様を信じたのです。

 

9:42をお読みします。

9:42 このことがヤッファ中に知れ渡り、多くの人々が主を信じた。

 

「死んだはずのタビタが生き返った。イエス様はなんとすばらしいことか。」といってヤッファの町中の人々がそのことを知りました。そしてその多くの人々がイエス様を信じたのです。ハレルヤ。

 

神様はこのようにすばらしい奇跡のわざを成してくださいました。そして多くの人々が信じたのです。これらのことは聖霊様の素晴らしい業です。でもこのような奇跡は過去のことではありません。今の時代でも起きています。

 

「死人がよみがえる」という本が出ていますが、ジョセファット・ガジマというアフリカのタンザニアに有名な牧師先生がいます。沖縄にも来たことがありますが、何人も死人をよみがえらせたできごとが本に記されているのです。ですから、これは今でも起こることであることがわかります。これから、この日本にも、沖縄にもこのような聖霊様のわざを起こることを期待します。

 

②神様は人々の健康を願っておられる

奇跡やいやしが与えられる第2番目の理由は、神様ご自身が私たちの健康を願っておられるということです。神様は祝福の神です。私たちが健康で生活することを願っておられるのです。

 

Ⅲヨハネ1:2をお読みします。

1:2 愛する者よ。あなたのたましいが幸いを得ているように、あなたがすべての点で幸いを得、また健康であるように祈ります。

 

ここには、3つの幸いを願う祈りが記されています。聖書にこの祈りが記されているということは、この祈りは神様の祈り、願いであるということです。

 

一つは、たましいの幸いを主は願っておられます。たましいとは、心です。思いです。考えです。たましいが健康でないと、前向きな考えができません。神様は考えを前向き、ポジティブ、積極的、建設的にしてくださるお方です。まず、たましいが健全であることを願っておられます。

二つ目は、すべての点で幸いであるということです。これは、私たちの人間関係においても、仕事についてもうまくいくように、経済的に満たされるように、ひとつひとつ計画していることがうまくいくようになど、私たちの生活全般に関わることです。すべての事柄です。神様は私たちに関わるその部分の幸いを求めておられます。ハレルヤ。

 

三つ目は、健康です。あなたがたは健康でありなさいと願ってくださっています。私たちはこの地上で生きていくためにどうしても健康が必要です。健康がないと何もできません。大切です。神様もそのことをよく知っておられて、健康であるようにと願っておられるのです。

 

神様が健康を願っておられるのに、どうして私たちに病気があるのでしょうか。それは、私たちが肉の性質をもった人間だということです。アダムとエバのDNAを持っているのです。罪を犯したためにのろわれてしまったこの地上に生きているということです。ですから、この地上には病があります。死があります。これは人間が生まれ持った定めでもあります。

 

しかし、神様の願いは私たちの健康です。ですから、私たちは病にならないように、また病をいやしてくださるようにと祈って求めることができます。それが神様のお心だからです。

 

③神様は人々が祝福されることを願っておられる

第三番目は、神様は私たちを祝福したいと願っておられるということです。先ほどのお言葉もそうですが、ヨハネ10:10にも記されています。ヨハネ10:10をお読みします。

10:10 盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。

 

私たちには敵、サタンがいることも忘れてはいけません。神様の祝福をいつでも奪おうとねらっているからです。彼らのすることは、盗むこと、殺すこと、滅ぼすことです。そのように人間を苦しめて滅ぼそうとします。

 

でもイエス様が私たちと共にいてくださるということも忘れてはいけません。彼は私たちの羊飼いです。私たちがこの地上でも、いのちにあふれて豊かに生きることを願っておられます。いろんなことに敗北して、貧しく生きることがお心ではないのです。「いのちを豊かに得る」と書いてあります。これは勝利と繁栄のお言葉です。そのことを信じていきましょう。