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ペテロの説教

テキスト 使徒2:22-32

2:22 イスラエルの皆さん、これらのことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと不思議としるしを行い、それによって、あなたがたにこの方を証しされました。それは、あなたがた自身がご承知のことです。

2:23 神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです。

2:24 しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、あり得なかったからです。

2:25 ダビデは、この方について次のように言っています。『私はいつも、主を前にしています。主が私の右におられるので、私は揺るがされることはありません。

2:26 それゆえ、私の心は喜び、私の舌は喜びにあふれます。私の身も、望みの中に住まいます。

2:27 あなたは、私のたましいをよみに捨て置かず、あなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです。

2:28 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前で、私を喜びで満たしてくださいます。』

2:29 兄弟たち。父祖ダビデについては、あなたがたに確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日に至るまで私たちの間にあります。

2:30 彼は預言者でしたから、自分の子孫の一人を自分の王座に就かせると、神が誓われたことを知っていました。

2:31 それで、後のことを予見し、キリストの復活について、『彼はよみに捨て置かれず、そのからだは朽ちて滅びることがない』と語ったのです。

2:32 このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。

 

(1)ペテロの大胆さはどこから

①ペテロは3回もイエス様を否定した

今日はペテロが登場します。彼も大きな失敗と挫折を経験します。どうやって立ち直ることができたのでしょうか。

 

前回、ペテロとほかの弟子たちはともに立ち上がって集まって来た多くの民衆にメッセージをしたことを見てきました。この時、メッセージに立ったのは、ペテロでした。ペテロが口を開きました。

 

ペテロは、大勢の民衆を前にしてどうして大胆になることができたのでしょうか。どれくらい集まったとは記されていませんが、後の記事を見ると、3千人の人々が信じたと書いてあります。ということは、それ以上の人々が集まっていたことがわかります。4、5千人はいたのではないでしょうか。その人たちを前にして大胆に恐れることなく語ったのです。

 

このペンテコステの出来事が来る前の弟子たちはどんな様子だったでしょうか。イエス様が逮捕された時、皆一目散に逃げていったのです。イエス様はそれでよしとしました。彼らにその後の仕事を託されたからです。ペテロはどうだったでしょうか。イエス様の裁判の様子をこっそり見に行ったのです。その直前、ペテロはイエス様に告白しました。「私たちは死も恐れません。あなたについていきます。」

 

ルカ22:33をお読みします。

22:33 シモンはイエスに言った。「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」

 

これは、ペテロの本音でした。イエス様にどこまでも従っていきたい、これがペテロの願いでした。しかし、実際イエス様が逮捕された時、皆逃げていきました。自分も逃げるしかなかったのです。

 

こっそり裁判を覗きに行ったとき、どうだったでしょうか。その様子から、また、言葉のなまりから、ガリラヤ出身でイエス様の弟子であることはすぐに分かったのです。ある女中が言いました。「あなたもあの人の弟子でしょう。」ペテロは、すぐに否定します。「そんな人は知らない」なんと3回も同じことを聞かれて、そのたびに否定します。それくらい弱さをまとっていたのです。イエス様が十字架で死なれた後も、弟子たちは全員恐れて、ビクビクして隠れていたのです。「自分たちも逮捕されるかもしれない」

 

イエス様が十字架で死なれて一番、意気消沈していたのはペテロだと思います。イエス様を裏切った上に、師匠であるイエス様が死んでしまったわけです。

 

でもペテロには救いがありました。イエス様が復活されたからです。そして、イエス様はペテロのことを特別に心にかけておられました。ヨハネ21:15をお読みします。

 

21:15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」

 

イエス様を裏切ったペテロのことを、イエス様は赦してくださいました。同じことを3度聞かれたとその後に記されています。ペテロは3度、イエス様を知らないと裏切りました。でもここでイエス様は3度、ペテロに繰り返して確認したのです。「わたしはあなたに子羊を任せていますよ。だから、元気をだしなさい。」と激励してくださいました。

 

イエス様は、ペテロを教会の柱、岩なる存在としますよと約束されていました。名前もシモンという名前からペテロ(岩)に変えていただきました。ここでもう一度、イエス様は確認して励ましてくださったのです。感謝ですね。

 

②聖霊様の力は大胆さと勇気

その同じペテロが、ここでは全く違う人物になっています。どうしてでしょうか。これは、イエス様が約束されたことでした。使徒1:8節をお読みします。

 

1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」

 

まさしく聖霊の力がペテロをおおっていました。その原動力は、聖霊のバプテスマにあったということがわかります。そして証人として堅く立ったということがわかります。ペテロはここで何を語ったのでしょうか、見ていきましょう。

 

(2)ペテロの説教

大まかにまとめると次の4つのことがわかります。

①キリストがよみがえられたことの事実

ペテロは、イエス様の十字架の死と復活を目撃しました。しかも、復活されたあと、40日間イエス様のお姿を見たのです。その語られる教えを聞きました。大胆に言うことができました。「私たちは目撃したのです。キリストはよみがえられました。私たちは、その復活の証人です。」

 

②聖書のみことばの裏付け

ペテロは、ユダヤ人として小さい時から旧約聖書に親しんでいました。それに加えてイエス様もペテロに、「この詩編のみ言葉はわたしのことをダビデが預言的に語ったものです。」と教えておられたのではないかと想像します。

使徒2:27をお読みします。これは詩編16:10のお言葉です。

2:27 あなたは、私のたましいをよみに捨て置かず、あなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです。

 

ペテロは教えていいました。「これはダビデが記したことばです。やがて来られるイエス様のお言葉を記したのです。なぜなら、彼の墓は、そこにあるのです。ですから、このお言葉は、メシアすなわちキリストのことを指しています。彼は数々の神の御業をこの地上で行われました。この方が滅びるままに置かれることはあり得ません。」

 

③聖霊が注がれたしるし

さらに続けて言いました。使徒2:33-36までお読みします。

2:33 ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。

2:34 ダビデが天に上ったのではありません。彼自身こう言っています。『主は、私の主に言われた。あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。

2:35 わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。』

2:36 ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」

 

「そして、今私たちに注がれた聖霊のしるしをあなた方は見ています。その言葉を聞きました。皆、ガリラヤ育ちの田舎者です。あなた方が住んでいる国の言葉を聞いたこともなければ学んだこともないのです。これは、人間わざではないのです。超自然的な聖霊様のわざです。これは、確かに神様が私たちに示していることを表しているのです。あなたがたが、このキリストを十字架にかけて殺しました。」

 

④悔い改めに導いた

人々は、ペテロの説教を聞き、また、み言葉を示され、聖霊の不思議な働きを見て心を刺されたのです。「あの方が聖書が預言していたキリストだったのか。私たちはなんということをしてしまったのか。」 ペテロの言葉を人々は素直に受け入れたのです。彼らの答えはどうだったでしょうか。使徒2:37-42をお読みします。

 

2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。

2:38 そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。

2:39 この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」

2:40 ペテロは、ほかにも多くのことばをもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。

2:41 彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。

2:42 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。

 

人々は、心を刺されて、言いました。「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」 ペテロは、彼らを悔い改めに導きました。その罪を神様の前に告白させたのです。そして言いました。「悔い改めの証としてバプテスマを受けなさい。そうすれば私たちのように聖霊のバプテスマを受けることができます。」

その日と書かれています。なんと、一日で3000人がバプテスマを受けて弟子たちの仲間になったとあります。ハレルヤ。このようなすさまじい奇跡が起きました。これが聖霊様の働きなのです。

 

バプテスマは、大事な第一ステップだとわかりますね。ですから、まだ洗礼を受けていない方は、最初の第一ステップである洗礼を受けることをお勧めいたします。そこからさらに神様の恵みが始まるのです。

 

(3)聖書のお言葉と聖霊のはたらき

ペテロの説教はもちろん聖霊様の働きを通して行われました。聖霊様の導きに従ったのです。ペテロ自身の考えではありません。だから、ものすごい奇跡が起こされたのです。そしてもう一つの重要なことは、み言葉です。

 

①神のことばは生きている

ペテロは、詩編のみことばを通して人々に訴えました。聞いている人は、皆この詩編のみことばをよく知っていたのです。はるばる外国から祭りを祝いにやってくる熱心なユダヤ教信者の人々です。「このダビデの記した言葉は、この死んでよみがえったキリストのことです。」と言ったときに目が開かれたのです。そして心を刺されました。

 

ペテロは、聖書のお言葉を効果的に用いました。聖書のお言葉は両刃の剣だとあります。ヘブル4:12をお読みします。

 

4:12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。

 

ペテロの語った聖書のお言葉は、人々の心を刺し貫いたのです。私たちも神様のお言葉は生きて働くのだと心に留めていきましょう。そして効果的に用いる者となりましょう。

 

②信仰は聞くことから

ローマ10:17をお読みします。

10:17 ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。

 

私たちの信仰は、聞くことから始まるとありますね。そうです。聞かなければ信仰は生まれないのです。聞くことが重要です。私の信仰の種は、ラジオ放送を聞いたことです。福音が語れていました。そこに光を見つけたのです。「ああ、ここで語られている聖書のお言葉に真実があるかもしれない」と思いました。そして教会に足を運ぶようになったのです。ハレルヤ。

 

まだ、神様を知らない人々に私たちが聞かせてあげることが大切です。最初は、トラクト1枚からでもいいのです。「こんな読み物がありますよ。読んでみてください。」そこには聖書のお言葉が記されています。体験談があります。それによって光が差し込んでいくのです。

 

神様を知らない人々についてもそうですが、私たちにとっても聖書のお言葉は非常に重要ですね。私たちの信仰はみ言葉によって生まれ、成長するからです。

 

③み言葉の乳

Ⅰペテロ2:2をお読みします。

2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。

 

聖書のお言葉は、赤ちゃんのミルクのようですとあります。赤ちゃんが成長するための唯一の栄養源です。赤ちゃんにとっては、これしかありません。パンを食べることはまだできません。ステーキも食べきれません。でも赤ちゃんにはミルクがあります。

 

私たちもこのみ言葉のミルクを慕い求めていきましょう。それを飲むことによって成長するからです。聖書を味わうことによって霊の目と耳が開かれ、信仰が成長するからです。

 

クリスチャンだと言っても、聖書も読まない、お祈りもしない、集会にも来ない。これでは、いつまでも成長しない赤ちゃんのままのクリスチャンになってしまいます。神様はそんなことを望んではいないのです。「もっとわたしの真理の中に入って来なさい」と言われます。私たちはもっともっと神様の恵みの中に入っていくことを求めていきましょう。