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わたしは命を捨てるために来ました

テキスト ヨハネ10:10-11

ヨハネ

10:10 盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。

10:11 わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。

 

私たちは先週、イエス様の誕生をお祝いして礼拝しにやって来た東方の博士たちのことについて学びました。少し復習です。彼らが贈物としてささげた物はどんなものだったのでしょうか。

 

マタイ2:11をお読みします。

2:11 それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。

 

はい、黄金、乳香、没薬です。黄金、乳香、没薬というどれもかなり高価な品物でした。そこには今の私たちの生活にはあまりなじみの薄い物もあります。黄金は、イエス様が王様であることを示しています。乳香は香りを楽しみ味わう品物です。これは、イエス様が祈りを受ける神様であることを示しています。

 

没薬とは何でしょうか。これは、死んだ人を埋葬するときに用いる薬です。博士たちはどうしてこの没薬を贈り物としたのでしょうか。もっと他の良いものはなかったのでしょうか。この没薬は、防腐剤のほかに、薬として殺菌剤として用いられました。医者が病気の人に処方したのです。これは人の命を救うことを表していますね。

 

また、イエス様はやがて十字架にかかって私たちを罪から救うために死なれることが定まっていました。ですから、この没薬というのは、イエス様が救い主であるということをあらわしているのです。

 

イエス様が、30歳ごろになって、ヨルダン川でご自身を世に現れた時、それよりも早くバプテスマのヨハネという人が人々を導いていたのです。そして人々にイエス様のことを紹介したのです。

ヨハネ1:29をお読みします。

1:29 その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。

 

彼は言いました。「イエス様は、世の罪を取り除く存在だ。」救い主イエス様なのだから、罪を取り除いてくださるのか、と何となくわかりますね。

さらに彼は言うのです。「彼は神の子羊だ。」と。神の子羊とはいったい何でしょうか。ぬいぐるみのようにフワフワとしていてかわいい、という見た目ことではないのです。

 

これは、旧約聖書を読んでみるとよくわかるのです。モーセという預言者が神様から律法を預かりました。その律法に記されています。罪を犯したという人は、罪がゆるされるために動物を殺し、その血をとって祭壇に注ぎなさい。そしてその肉を焼いてささげなさい」と書かれています。そのいけにえの動物うちのひとつが小羊でした。

 

ですから、罪を取り除く神の子羊といったら、ああこれは神へのいけにえになるのだとわかるわけです。いけにえとしてやがて死ぬ運命にあるのだとわかります。ヨハネもイエス様も最初から、このことを理解していたのです。

 

イエス様ご自身もいのちを捨てることを前もって何回も弟子たちに語っています。ヨハネ10:18をお読みします。

10:18 だれも、わたしからいのちを取りません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、再び得る権威があります。わたしはこの命令を、わたしの父から受けたのです。」

 

いのちを捧げるように父なる神様から命令を受けたと言っています。その命令を受けて地上に来られたのです。そしてそれは自ら捨てるのであって、奪われるのではないとはっきり言っています。イエス様も十字架の死を逃れようと思えばいくらでも逃れることができました。でも、そうはしませんでした。

 

ローマ5:8節をお読みします。

5:8 しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。

 

ここに神様の深い愛のご計画だったことが記されていますね。「イエスキリストを十字架にかけることはわたしの心だ」と言われているのです。それは、私たちがこの地上で、罪の中に苦しんでいるからなのです。闇のなかで苦しんでいるからなのです。そこから救うためにイエス様が来られました。

 

だから全世界でこのことがお祝いされているのです。この地上にイエスキリストというお方を送って下さった、プレゼントしてくださった。それはわたしたちを救うためだったということなのです。これは、ただ、単にイエス様の誕生日をお祝いしているわけではないのです。

ここで一つの詩を紹介したいと思います。といっても大変有名な詩です。「雨ニモマケズ」というタイトルです。そうです。宮沢賢治の詩です。宮沢賢治は明治29年に岩手県花巻生まれの方で、たくさんの小説や詩を残しています。有名な作家です。しかし、「雨ニモマケズ」のこの詩は、宮沢賢治が死んで後に出て来た詩なのです。

 

この詩は、彼がなくなる直前に病床で書き記したものとされています。世に発表しようとして読んだものではないと思われます。彼の死後、彼を追悼する会で遺品を会場に持ち込んだときにたまたまこの詩が発見されたそうです。

いっしょに味わってみましょう。

 

雨にも負けず  風にも負けず

  雪にも夏の暑さにも負けぬ  丈夫な体を持ち

欲はなく  決していからず  いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と  味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを  自分を勘定に入れずに

よく見聞きしわかり  そして忘れず

野原の松の林の陰の  小さなかやぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば  行って看病してやり

西に疲れた母あれば  行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

  行って怖がらなくてもいいと言い

北に喧嘩や訴訟があれば  つまらないからやめろと言い

日照りのときは涙を流し  寒さの夏はオロオロ歩き

みんなにでくのぼうと呼ばれ

褒められもせず  苦にもされず 

そういう者に  私はなりたい

 

一般的になされているこの詩の解釈は、宮沢賢治が追い求めてきた理想像だとされています。「そういう者にわたしはなりたい」と結ばれています。そしてその理想の姿は私たちも見習うべきものではないか、ということです。私も人生教訓として、そのように今まで受け取ってきました。

 

しかし、驚くべきことに、じつはこの詩の「そういう者」という人にはモデルとなる人物がいるということが言われています。その話を聞いたとき、ああ、そういうことかと詩の内容が心に落ちる思いがしました。

 

それは、同じ岩手の出身の明治10年生まれの斎藤宗次郎という方です。彼は、禅寺の住職の息子として生まれます。学生のころまでは反キリスト教主義に生きてきますが、小学校の教員になってしばらくして病気で入院してしまいます。

 

そしてその入院先の病院に聖書が置いてあったというのです。彼はなんとその聖書を読んでイエス様を信じるようになったそうです。やがて内村鑑三という有名なキリスト教の先生の著作に触れ、

大きな影響を受けます。

 

しかし、小学校で聖書を教えたりと、あまりに過激に行動したために、なんと小学校も辞めさせられてしまいます。

 

信仰のゆえに迫害も受けます。家に石を投げられたり、小さな娘さんが、「耶蘇の娘」と言われて、いじめられて腹膜炎を患って死んでしまいます。深い悲しみのどん底を経験します。でも、内村鑑三の助けもあって信仰を建て直します。

 

そこで信仰を持ちながら、彼は新聞配達の仕事をします。毎日、新聞の束を抱えて、走って配っていったそうです。そして、その合間に病気の人を見舞い、子どもたちと出会えば飴玉を配り、雨の日も、風の日も、雪の日も休むことなく、町の人達のために祈り、働き続けたそうです。

 

雪が降った時には、新聞配達を終えて後、小学校の通路をせっせと雪かきを小学生の通る道を作ったといわれています。それだけでなく、小さい子どもは自分で抱えて学校まで送り届けてあげたそうです。

 

はじめの内は、迫害のために「でくの坊」と呼ばれました。でも次第にその誠実な行いによって人々から尊敬されるようになっていったそうです。やがて20年が経ち、彼は内村鑑三から招かれて東京にいきます。

 

その岩手からの出発の日、だれも見送りには来ないだろうと思っていたそうです。ところが、花巻駅に彼を見送りに来た人たちがいました。なんと、200名近くの町のほとんどの人たちが見送りに来たというのです。町長、警察署長、女学校の校長、小学校の校長、医師たち、友人たち、神職や僧侶などの宗教関係者たち、路上生活者たちまでその別れを惜しんだそうです。

 

宮沢賢治とこの斎藤宗次郎とはどんな関係だったのでしょうか。宮沢賢治は、熱心な仏教の信者でした。しかし、彼は教会の英会話教室にも通っていたそうです。彼の周りにはクリスチャンが多くいたのです。

 

その中に斎藤宗次郎もいました。彼と斎藤とはお互いを尊重する関係で、宗教の話は直接したことが無かったそうですが、仕事の話やクラシック音楽の話をよくしたそうです。宮沢賢治の務めていた農林学校によくやって来て、一緒にベートーベンのレコードを聞く間柄だったようです。かなり親しかったことがわかりますね。宮沢賢治も、斎藤の人柄に強く惹かれ、その生きざまに感銘を受けていたようです。

 

「そのような人間にわたしはなりたい」、そう手帳に記して最後は亡くなっていったのです。斎藤宗次郎は、イエス様を見続けました。イエス様がご自身のいのちを御捨てになったその姿を見つめていました。その自己犠牲に生きたキリストのように生きたいと思ったのです。そして宮沢賢治は、斎藤宗次郎を見てこの人ようになりたいと告白したのです。

 

斎藤宗次郎という人物はクリスチャンとしてイエス様を追い求めていたのです。自分を捨てて、十字架に命を捧げてくださったイエス様のご愛を見つめていました。

 

その生活は、質素でした。そして謙虚に歩み、名誉や地位を求めませんでした。自分のことを優先しませんでした。迫害されてもし返すことをせず祈りをもって神様を求めたのです。よく祈る人でした。彼は何を喜びとしたのでしょうか。

 

彼はイエス様から来る喜びを求めていたのです。たとえこの世で得られるものが少なかったとしても、彼は天で得られる報いがどれほど大きいのかということを見ていました。だから、数々の迫害をも耐えることができました。そして人々を助ける生き方ができたと思います。そして、あの宮沢賢治の心をもとらえていたのです。

 

今日の礼拝は、クリスマス礼拝です。イエス様のお誕生をお祝いする日ですが、その時に、イエス様の死についてお話いたしました。でもイエス様の死がこの誕生の時にすでに示されていたということなのです。もう一度、ヨハネの10:11をお読みします。

 

10:11 わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。

 

イエス様は、いのちを捨てるためにこの地上に降りて来てくださいました。なんという大きな犠牲でしょうか。でも、イエス様は言われるのです。「わたしはあなたのために命を捨てましたよ。それほどあなたが大切です。」 これがイエス様のわたしたちへの最大のプレゼントです。イエス様からのメッセージなのです。いのちを捨てるということは、単にどぶに捨てるということではなく、私たちに与えてくださったという意味です。わたしたちのために罪の刑罰を受けてくださった。身代わりとして十字架で死んで下さったということです。

 

そして、このイエス様のプレゼントは今でも有効なのです。まだ受け取っていない人はぜひ受け取ってほしいと思います。今日、このことに思いを留めていただけると幸いです。

 

     

 

 

 

 

 

 

 礼拝メッセージ

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