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キリストはなぜ地上にお生まれになったのか

テキスト

イザヤ9:6-7

9:6 ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

9:7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。

 

この地上にはいろいろな権力や権威が存在します。そして地上の栄光や繁栄も存在します。国によってその差があります。繁栄している国もあれば、そうでもない国もあります。

 

その国のトップに立って権力を握っている人は誰でしょうか。たいてい、大統領とか首相とかがそのリーダーです。また、その経済を握っている人物もいます。その人の心ひとつで経済を上げたりも下げたりもできるトップ企業の人たちがいます。

 

これは、私たちが目に見える世界です。しかし、聖書は、私たちの目に見えない世界があることを教えています。霊的な世界です。この霊的な世界にも権力者がいるのです。私たちが信じるイエス様、父なる神様はもちろん、王の王、主の主ですから、そのすべての上に支配しておられてはるかに高く座しておられます。

 

しかし、この地上に限っては、霊的に支配する権力者が別にいるんだと聖書は教えています。それは誰でしょうか。そうです。サタンです。私たちの敵である悪魔です。イエス様を誘惑したときに、彼が語った言葉を見てみましょう。

 

ルカ4:5-7をお読みします。

4:5 すると悪魔はイエスを高いところに連れて行き、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せて、

4:6 こう言った。「このような、国々の権力と栄光をすべてあなたにあげよう。それは私に任されていて、だれでも私が望む人にあげるのだから。

4:7 だから、もしあなたが私の前にひれ伏すなら、すべてがあなたのものとなる。」

 

悪魔は、このとき、イエス様を誘惑しました。イエス様は悪魔にこの世の栄華を見せられたのです。「これはすべてわたしに任せられている。だからわたしを拝むならあなたにあげよう。」悪魔、すなわちサタンを礼拝をするように誘惑してきました。

 

ここで注目したいのは、国々の権力と栄光が悪魔に任せられている、支配権が移っているということです。イエス様もこの悪魔のことばを否定しませんでした。ですから、この地上の権力や栄光は悪魔が牛耳っているということがわかりますね。悪魔は自分に協力的な人を特別に栄えさせたりすることができるのです。

 

でも、サタンの性質はどんな性質でしょうか。その中に真実は無いのです。嘘、偽りです。そして破壊です。ですから、この地上はいろんな事件や事故、争いが頻発します。

 

ヨハネの10:10をお読みします。

10:10 盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。

 

この盗人というのはサタンのことを指しています。羊の面をかぶった狼です。平和のふりをして争いをもたらすのです。彼の目的は、盗むこと、殺すこと、滅ぼすことです。人間が真の平和と繁栄を受けることを願っていません。最終的に滅ぼしたいのです。この滅びというのは、永遠の滅びです。永遠のいのちの真逆のことです。

 

パウロは、この地上の霊的権力者のことを暗闇の力と呼びました。サタンのことです。

 

コロサイ1:13をお読みします。

1:13 御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。

 

父なる神様は、私たちをこの暗闇の力、サタンの支配下から救い出してくださったとあります。イエス様のご支配の中にいれてくださったのです。ハレルヤ。

 

ヨハネの手紙第一5:19をお読みします。

5:19 私たちは神に属していますが、世全体は悪い者の支配下にあることを、私たちは知っています。

 

ここでヨハネは、世全体のことを言っています。地上のことです。霊的には悪い者に支配されている、サタンに牛耳られていますと告白しています。

 

パウロがイエス様と出会った時、お言葉がありました。

使徒26:17-18をお読みします。

26:17 わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのところに遣わす。

26:18 それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。』

ここにサタンの支配という言葉があります。そしてそれは闇の支配です。「パウロよ。あなたが神に立ち返ったように、人々を救いに導きなさい」といわれたのです。イエス様こそ、光なるお方です。わたしたちに救いをお与えになるお方です。

 

この世界はサタンに支配されて、牛耳られています。でも、神様それを放っておかれるお方ではありません。なぜなら、わたしたちを深く愛しておられるからです。私たち一人一人は神様の作品だからです。なんとか、人々を救いたいとご計画を持たれました。

 

アダムとエバが罪を犯したときからずっとご計画をもっておられます。わたしたち人類の救いの計画です。そしてその計画を数多く私たちに知らせておられます。聖書にイエス様を地上に送って救い出してくださるというご計画を預言として示してこられました。その預言的な象徴としての出来事がいくつも出てきます。

 

その一つが、出エジプトの出来事です。過越しという出来事がありました。「小羊を殺してその血をとりなさい。その血を家の門の柱と鴨居に塗りなさい」と神様が命じられました。イスラエスの人々はこれを実行したのです。それを行った家家には、災いは起こりませんでした。初子が死ぬという災いです。

 

 

これは、「キリストの血を受け取りなさい。それを心に塗りなさい。塗った人はいのちを受けますよ。」ということを示しています。このように人類を救いに導きますよということを神様は出エジプトの時代に示しておられます。

 

BC700年ごろに預言者として活躍したイザヤがイエスキリストの現れについて預言しています。最初にお読みしたイザヤ書9:6を再度お読みします。

9:6 ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

 

ひとりの赤ちゃんが、わたしたちにプレゼントされますよと書かれています。みどりごというのは、植物の新芽のことを指しているようです。生まれ出たばかりの生き生きとした植物の芽のようだという意味で、みどりごとなったようです。

 

でもイザヤはその男の子は特別だと言います。その人は、主権を持っている、その肩にあるというのです。主権とは、支配権を指しています。悪魔によって奪われた支配権を取り戻すということです。そのしるしが肩に見えているというわけです。

 

現在、世界の中で王国として思いつく国はどこがあるでしょうか。イギリスが真っ先にくるのではないでしょうか。イギリス国王がいろんな公的な行事に王としての威厳を示している様子を時々見ることができます。それなりの服装をするのです。時には正装としての軍服を着て、国の最高権威者としての姿を人々に見せるわけです。最高権威といっても立憲君主といって、その権限は憲法で規定されています。

 

しかし、公的な行事に軍服を着るときには、ちゃんとその権威を示すものを身につけます。誰が見てもわかるように目立つところにそのしるしを付けます。肩章であったり、バッチであったり、肩にかける紐だったりします。制服として権威を身につけているわけです。

 

イエス様も、その肩に主権、支配権を身に着けて実際的にこの世界を治める時がやってきます。地上に来られた時は、実際的に目に見える形でこの世界を治めることはなさいませんでしたが、再び来られるときは実際的にこの世界を治めるのです。それがイエス様の再臨であり、千年王国であり、その後の永遠の御国であります。

イエス様は人々の間でどのように呼ばれると書かれているでしょうか。

 

1番目に、不思議な助言者です。これは英語の訳だとWonderful Counselor です。素晴らしいカウンセラーということです。

 

イエス様は、普通のカウンセラーではないのです。私たちの心の奥底まで知っておられるお方です。ですから、そこにある痛みも苦しみも悩みも問題も課題もすべてご存知なのです。そしてそこからどうやって抜け出ることができるかご存知です。「さあ、一緒に行きましょう」と言って手を握って私たちを引き出して下さるお方です。

 

私たちの心の奥底に触れてくださるお方なのです。それがwonderful counselorです。あの、パリサイ人ニコデモを思い出してみましょう。地位と身分をまとった人です。なかなか自分自身をさらけ出すことができません。でもイエス様はニコデモの心の飢え渇きを知っておられました。「あなたは新しく生まれなければなりません」と単刀直入にアドバイスしました。

 

あのサマリヤの女の人を思い出してみましょう。5回も結婚して6人目と同棲していることを言い当てました。そして結婚することで得ようと思っていた幸せがなかなか得られない、この女の心の奥底に触れてくださいました。「私の与える水を飲む者は決して渇くことはないのです」と言われました。その女の人の渇きをご存知でした。イエス様は偉大なカウンセラーであります。

 

2番目、3番目はなんでしょうか。力ある神、永遠の父です。イエス様が地上でなされたことを見ればわかります。多くの人々の病気をいやされました。体の不自由な人を自由に動けるようにしてくださいました。目の見えない人、耳の聞こえない人、手足の動かない人を癒やされました。悪霊に苦しめらている人々をいやされました。死人をよみがえらせました。

 

そのようにイエス様は、ご自身が力ある神であることをお示しになったのです。救い主、メシヤであることを地上で示されました。そして信じる人々はそのことを認めてそのように呼んだのです。

 

そしてイエス様は、「わたしと父とはひとつです。わたしを見た者は父を見たのです」と言われました。アーメン。イエス様は父なる神様のご性質をもっておられました。父なる神様そのものといってもいいでしょう。

 

4番目は何でしょう。平和の君と呼ばれるということです。平和の君とは何でしょう。平和をもたらす君主であるということです。イエス様はどのようにして平和をもたらしたのでしょうか。イエス様の時代に平和はやって来たのでしょうか。

 

いいえ。イスラエルの人々と、それを支配するローマ帝国とは一つになりませんでした。イエス様が天に上られてあと、AD70にはローマ帝国に反逆してなんと徹底的にイスラエル民族は滅ぼされて、国を追われてしまいます。国外に散り散りになってしまうのです。イスラエルという国自体が消滅してしまいました。それなのに、なぜイエス様が平和の君なのでしょうか。イスラエルという国は1948年まで存在しませんでした。

 

イエス様の言われた平和、これはイエス様が霊の世界でなされた御業のことを言っています。イエス様が十字架にかかられて私たちの罪のために身代わりとなられたこと、このことを言っています。身代わりとなったということは、イエス様が罪ある者となった、そして私たちは罪のない者となったというこです。イエス様が、父なる神様の前に、私たちのためにとりなしてくださったということです。

 

私たちが天に上った時、父なる神様は私たちに対してどんな風に言われるでしょうか。「あなたのような罪人が何でここにやって来たのか、この罪で汚れた者よ。」と言うでしょうか。いいえ、そんなことは決してないのです。

代わりに、「イエスの血ですべての罪がゆるされて雪のように白くなった者よ。何と清いことか、わたしのところに近づいて来なさい」と言われるのです。

 

これはイエス様が、父なる神様と私たちの間を取り持ってくださった、仲介してくださったということです。これが平和の君と呼ばれる理由です。私たちと父なる神様との間に平和をもたらしてくださったのです。イエス様のこの仲介が無ければ、私たちに救いはないのです。なんと感謝なことではないでしょうか。

 

今日は、イザヤ9章から、イエス様お誕生の預言について見てきました。なぜイエス様がこの地上に来られる必要があったのかを見てきました。もしイエスさまが来られなかったらと思うとぞっとしますね。

 

それほど、偉大な救いをこの地上にもたらしてくださいました。だから、全世界でイエス様の誕生がお祝いされているのです。イエス様はポッとこの世に出て来たわけではないのです。神様の深いご計画がありました。たくさんのイエス様の預言が記されています。その一つ一つは正確に成就しました。神様のご計画には間違いがありません。私たちはそのことを心に留めて信頼していきましょう。

 

 

 

 

 

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