· 

神の子どもとして生きる

テキスト ガラテヤ4:4-7

 

4:5 それは、律法の下にある者を贖い出すためであり、私たちが子としての身分を受けるためでした。

4:6 そして、あなたがたが子であるので、神は「アバ、父よ」と叫ぶ御子の御霊を、私たちの心に遣わされました。

4:7 ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神による相続人です。

 

このお言葉には、私たちを子としてくだったと記されています。ですから、私たちは天の神様をお父様と呼ぶことができます。私たちは、神様の子どもです。子としての身分をもっていますよと教えています。すごいことですね。身分が伴っているのです。

 

 

もし私たちの父親がアラブの石油会社を経営する社長だったらどうでしょう。この社長は、財産をつぎ込んで石油の油田を掘り当てたとします。掘り当てるのに財産は失いましたが、すぐに莫大な財産を築いたとします。その社長の息子だったらどうでしょう。その息子は、父親の持つ莫大な財産を受け継ぐ者となるのです。その権威も、権利も、財産も受け継ぐのです。父親が住んでいる高級住宅に住み、高級車に乗り、父親が食べる食事を一緒にするのです。

 

それが息子です。私たちは、神の子どもとなりました。これは、偉大なことなのです。ワクワクしませんか。

 

もう一度、ガラテヤ4:7をお読みします。

4:7 ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神による相続人です。

 

もはや奴隷ではないとあります。これは、かつては奴隷だったということです。誰の奴隷だったのでしょうか。悪しき敵、サタンの奴隷です。いつの間に奴隷にされたのでしょうか。奴隷にされた覚えがないというかもしれません。

 

そうです。わたしたちの預かり知らないところで奴隷にされました。アダムとエバの時代から、罪に縛られているのです。この世の中はサタンが支配権を持っているのです。それは人間が罪を犯して神様に逆らったからです。サタンが私たちを支配する権利を奪い取っていきました。人間はその時以来、サタンの奴隷なのです。

 

目には見えません。でも、私たちの持つ目に見えない霊的な尻尾がサタンに握られているのです。そして尻尾がサタンの鎖でつながれています。それが人間なのです。

 

でも感謝なことに、そのサタンの鎖を打ち砕き、私たちをその奴隷から解き放ってくださいました。これが福音です。イエスキリストの恵みなのです。

 

イエスキリストの十字架がその鎖を打ち砕きました。ですから、それを信じる私たちは、神の子どもなのです。神の子どもらしく生活していきましょう。このことが実感できない人は、次のみ言葉をしっかり暗唱して毎日何度も何度も告白していきましょう。

 

ヨハネ1:12をお読みいたします。

1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。

 

信じる私たちには、多くの特権が与えられています。神の子どもというのもそのひとつです。

 

そして私たちの霊的な国籍が定められています。ピリピ3:20をお読みします。

3:20 しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。

 

なんと感謝なことでしょう。私たちは天国人として、もうすでに国籍が定められています。死んでからではないのです。今生きているうちに、霊的な国籍が決まっています。この地上での生活を終えた後、行き先が決まっているということです。

 

もし日本人が、外国で事故とかで命を失ったら、その遺体はどうなるでしょうか。身内の人が呼ばれるのです。日本人であれば、日本にいる身内の人、家族が呼ばれるのです。そして現地で火葬するか、日本に遺体ごと持ち帰るかということになりますね。いずれにしてもその本人の国籍のある国が手続きをすることになるのです。

 

私たちの霊的な国籍は天にありますので、この地上での命を終えた時は、天国から迎えが来るのです。そして、天使に連れられて天国に入るのです。それが国籍が天にあるという意味です。このことは、神様が責任をもって行ってくれるのです。皆さん、ですから、クリスチャンにとっては、死後のことは何にも心配いりません。神様が責任をもってくださるからです。

 

ヨハネ14:2をお読みします。

14:2 わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。

14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。

 

イエス様は私たちのために場所を用意するといわれました。そこは、私たちの天の住まいです。やがて信じる者すべての人のためにイエス様は迎えに来られます。それが聖書の約束です。イエス様の約束です。

 

私たちの行く先は決まっているのです。そこは天の住まいです。私たちは天国人だからです。なんと感謝なことではないでしょうか。

 

エペソ1:18-19をお読みします。

1:18 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、

1:19 また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。

 

ここには、信じる者たちがどれほど大きなものを受け継ぐのかということが記されていますね。それは、人間の頭で考えられる事をはるかに超えた神様の栄光で満ちているのです。

 

あのペテロが高い山に登った時に言った言葉を覚えているでしょうか。「主よ。ここに幕屋を3つ作りましょう」

 

ペテロは、神様の栄光に打たれて、感激して、もう地上の世界には戻らなくてもいいと思いました。ここに幕屋を作ってずっとここにいましょう。取り乱して言いました。それほど、神の国は栄光に満ち溢れたところなのです。神の臨在がおおう場所なのです。「もうこれ以上何もいらない、神様とともにいることができるなら、もう何もいらない」、そのような場所です。

 

私たちに与えれている神の子どもとしての特権はそれだけではありません。

マタイの福音書

16:19 わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。」

 

 

 

イエス様は私たちに天の御国の鍵を与えるといわれています。これは直接的にはペテロに言われましたが、それはペテロだけに言われているのではありません。

 

そのことばの直前に、ペテロがイエス様に対して「あなたは生ける神の御子キリストです。」と言いました。その直後に、イエス様はこの岩の上にわたしの教会を建てますと言いました。岩は信仰告白を示しています。ペテロが告白したイエス様に対する信仰告白、その上に教会を建てると言われたのです。そのためには、御国の鍵が必要ですね。それをあなたに上げますよと言われました。

 

この鍵という言葉は、ここでは原語であるギリシャ語では、複数形が用いられているのです。英語の訳でもkeysと複数形です。ですから、たった一つのその鍵ではないのです。たくさんの御国の祝福をもたらす鍵なのです。

 

ここで、この鍵を用いて、つなぐという言葉と解くという言葉が出てきます。つなぐという言葉は原語ではデオウという言葉が使われています。これは縛るとか、つなぎ留めておく、拘束するとかに使われています。行動を禁止する言葉です。

 

 

 

一方、解くという言葉は、言語ではルオウという語が使われています。これは、解く、ほどく、緩めるなどで使われていて、許可する意味のことばです。

 

私たちは、イエスの御名による祈りによって、この鍵を使うことができます。サタンに縛られている人を御名によってその鎖を解きます。打ち砕きます。サタンによって病気にされている人をイエスの御名によって、その病気の鎖を解きます。

 

そして、サタンが人々を攻撃しようとするとき、イエスの御名によってその働きを縛ります。

 

この鍵は霊的な戦いで用いることができます。サタンの働きを縛り、サタンがもたらした鎖を解くのです。

 

また、ある鍵は天の祝福の扉を開く鍵です。それを解いて開ける時、人々が祝福を受けるのです。ですから、私たちは、その天の祝福の扉を閉めるのではなく、どんどん開いていきましょう。私たちが、ほかの人々のために祈る時、その扉が開いてその方々は祝福されるのです。それがその鍵です。

 

ですから、「イエス様、あなたこそは、神の御子キリストです。救い主です。」と告白する人々には、この特権が与えられています。

 

使徒の働き3:6をお読みします。

3:6 すると、ペテロは言った。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

 

ペテロがイエス様の御名によって、いやしを行った場面です。生まれつき足が不自由な人がいました。その人は、毎日運ばれて来て、宮の門で施しを求めていたのです。ペテロはこの人を見て、「ああ、毎日毎日、不自由な生活をしていて人の助けを求めないと生きていけない人生だ。彼を助けてあげたい。」そう思いました。

 

でも、この時のペテロは、神の子としての権威と権利が何であるのかを認識していました。天の御国の鍵と言われたことが何であるかを理解していたのです。「イエス様は、この御国の鍵を使いなさいと言われた。そうだ、今こそ、この足の不自由な人を病気から解いてあげよう。」そう言って、この人をイエス様のお名前によっていやしてあげました。

 

ペテロは、私たちのためにも、このいやしのデモンストレーションを行ってくれました。そして聖書に記録されたのです。感謝です。私たちも病気の人のために祈ってあげることができます。次のように宣言しましょう。

 

「私は神の子どもだ。私にはこの神の子どもとしての権利と権威が与えられている。天の御国の鍵を持っている。今その鍵を用いてこの病を解く。イエスキリストの御名によってこの病よ、いやされよ。」

 

今日は、私たちが神の子どもであるという聖書のお言葉を味わってきました。神の子どもというすばらしい特権が与えられています。その特権には、天国を国籍とすることが含まれています。そして天の御国の鍵を用いることができるということも含まれています。

 

わたしたちは、神様から与えれているその素晴らしい特権に感謝していきましょう。そしてそれは単に自分自分に与えられたということに留まりません。この特権を用いていくということが大切です。そのことを神様は願っておられます。イエス様を知らない方々にイエス様を知らせることもそうです。そしてその方々の祝福をお祈りするということもそうです。病気の方々のために祈るということもそうです。その方々がイエス様を信じて救われるということもそうです。いま心の内にある一人一人を覚えて祈っていきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

   礼拝メッセージ一覧へ

   ホームへ