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ヨシャファテの賛美隊

【テキスト】歴代誌第二20:1-23
20:17 この戦いは、あなたがたが戦うのではない。堅く立って、あなたがたとともにおられる主の救いを見よ。ユダとエルサレムよ、恐れてはならない。おののいてはならない。明日、彼らに向かって出陣せよ。主はあなたがたとともにおられる。』」

ここでヨシャファテという王様が登場します。このヨシャファテ王とはどのような王様だったのでしょうか。彼は南のユダ王国の王様です。

サウル王、ダビデ王、その子のソロモン王時代までイスラエルは一つの王国でした。しかし、神の強烈なご臨在と恵みをいただいたソロモンが罪を犯します。あまりにも数多くのお妃とそばめを持つのです。しかも多くの外国の女性を受け入れたのです。その結果、外国の宗教が一緒にくっついてきました。

晩年、ソロモンはその外国の神々を拝んでしまいます。神様が宣言しました。「あなたが、私に逆らうので、あなたの王国は引き裂かれてしまう。」その子のレハベアム王の時にそれが実現します。それからイスラエルは、北と南に分かれてしまいます。

北のイスラエル王国と、南のユダ王国です。北のイスラエルは、国民が神様を礼拝するために南の神殿に上っていくことを阻止しました。どのように阻止したのでしょうか。

北の国民に偶像を拝ませたのです。バアルやアシェラを拝ませました。その神殿を作ったのです。祭司を勝手に任命しました。イスラエルをエジプトから導かなかった外国の神々を拝んだのです。そのことは北のイスラエルの大きな罪となりました。

その偶像礼拝は、南のユダ王国にも大きな影響を与えました。南の国民たちの中にも拝む人たちが出て来たのです。

そんな中、このヨシャッファテは神様を正しく礼拝することを徹底して求めました。そして神様はそのヨシャファテの信仰のゆえに、彼を祝福しました。
Ⅱ歴代17:3-4をお読みします。
17:3 主はヨシャファテとともにおられた。彼がその先祖ダビデの最初の道に歩んで、バアルの神々に求めず、
17:4 父祖の神に求め、その命令にしたがって歩み、イスラエルの行いに倣わなかったからである。
17:5 主は、王国を彼の手によって確立された。ユダの人々はみなヨシャファテに貢ぎ物を持って来たので、彼には富と誉れが豊かに与えられた。

ところが、人間は完璧な人はどこにもいません。間違いを犯すし、弱さを持っています。神様はこのヨシャファテを苦難に遭わせられます。信仰を試されたのです。

アンモン人、モアブ人、セイル山の人々とは何者でしょうか。彼らは、イスラエルがエジプトから出て来た時に、彼らの場所を避けて通るように神様から指示を受けていました。彼らに攻撃をしてはならないと。なぜでしょうか。

セイルはエドムとも呼ばれます。これは、イスラエル、つまりヤコブの兄弟エサウのことです。セイルは、その子孫なのです。この子孫と戦ってはならないと言われていたのです。親戚関係にある人々だったからです。

アンモン人、モアブ人とは何者でしょうか。彼らは、アブラハムの甥ロトの子孫です。親戚関係にある人々なのです。ですから、神さまは、彼らの場所を避けて通りなさいと言われました。

イスラエルはこの神様の命令に忠実に従って来たのです。しかし、なぜかこのとき、彼らが連合してユダ王国に攻めてきたのです。

ヨシャファテはこの連合軍の大軍が攻めてくることを聞いてどうしたでしょうか。

20:3-4をもう一度お読みします。
20:3 ヨシャファテは恐れた。そして心に決めて主を求め、ユダの全土に断食を呼びかけた。
20:4 ユダの人々は集まって来て、主の助けを求めた。実にユダのすべての町から人々が来て、主を求めたのである。
ヨシャファテの優れたところは、正直で、素直なところだと思います。ヨシャファテは恐れました。それを隠しませんでした。そして主の前に出たのです。神様を求めました。たいへん潔いですね。人間に求めませんでした。軍隊を集めて軍隊に立ち向かうように鼓舞するようなことはしませんでした。

隣のイスラエル王国の助けも求めませんでした。ただただ主に助けを呼び求めたのです。これがヨシャファテの信仰でした。
ただ自分だけで神様を求めることをせず、国民に断食を呼びかけました。皆も必死の覚悟で祈ってくれ、と頼んだのです。

人々のヨシャファテの呼びかけに応答しました。集まってきました。ともに集まって祈るということはとても大切です。めいめいで祈るということも大切ですが、このような危機的な状況ではともに集まって祈るというのは力があるのです。

Ⅱ歴代20:12-13をお読みします。
20:12 私たちの神よ。彼らをさばいてくださらないのですか。攻めて来るこの大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいのか分かりません。ただ、あなたに目を注ぐのみです。」
20:13 ユダの人々はみな主の前に立っていた。彼らの幼子たち、妻たち、子どもたち
もともにいた。

ヨシャファテは人々を集めて神様に祈ります。この祈りも正直な祈りです。「大軍の前に私たちはお手上げです。どうしたらいいのかわかりません。力がありません。」

このヨシャファテの祈りは、私たちも大変参考になる祈りです。神様の前に何も繕う必要はありません。ありのままでいいのです。正直でいいのです。そのままを訴えていきましょう。神様がその祈りに答えてくださいます。

Ⅱ歴代20:14、17をお読みします。
20:14 ときに、主の霊が会衆の中で、アサフ族の出であるレビ人ヤハジエルの上に臨んだ。彼はマタンヤの子エイエルの子ベナヤの子ゼカリヤの子である。
20:17 この戦いは、あなたがたが戦うのではない。堅く立って、あなたがたとともにおられる主の救いを見よ。ユダとエルサレムよ、恐れてはならない。おののいてはならない。明日、彼らに向かって出陣せよ。主はあなたがたとともにおられる。』」

すると、神様はヨシャファテの祈りに答えてくださいます。ヤハジエルとうレビ人を通して語って下さいました。「この戦いは、あなたがたが戦うのではない。わたしが戦うのだ。だから恐れてはならない」

ヨシャファテも、一緒にいた民もどれだけ大きな力と受け励ましを受けたでしょうか。神様の前にひれ伏して礼拝をささげました。

そしてヨシャファテは考えました。この戦いを神様が戦ってくださるなら、私たちには何ができるだろうか。ヨシャファテが選んだことは、神様を賛美することでした。そうだ、戦いが主のものであるなら、だれも神に対抗できるものはない。この戦いは大勝利の内に終わると確信しました。

「そうであるなら、私たちは力いっぱい神様を賛美しよう。礼拝しよう。」 ヨシャファテは賛美隊に命じました。「武装した者たちの前に出て神様に賛美を捧げなさい。」神に仕えるコーラス隊、賛美隊が「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」と賛美を捧げました。

なんと、賛美隊が賛美を始めたとたん、すごいことが起こりました。歴代Ⅱ20:22-23をお読みします。
20:22 彼らが喜びと賛美の声をあげ始めると、主は伏兵を設けて、ユダに攻めて来たアンモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた。
20:23 アンモン人とモアブ人は、セイル山の住民たちに立ち向かい、これを絶滅させ、根絶やしにした。セイルの住民を滅ぼし尽くすと、彼らは互いに戦って滅ぼし合った。

アンモン人とモアブ人が一体となってセイル山の人々を襲ったとあります。連合軍の間で仲間割れが起きたのです。
ついには、セイル山の人々が滅ぼされてしまいます。それで終わりません。今度は、アンモン人とモアブ人の同士討ちが始まります。

何があったのでしょうか。このことは人間には理解できません。神様が連合軍の一致、統率を狂わせたのです。彼らの知恵と理解、知識を狂わせました。神様がわたしが戦うと言われたとおりのことが起きました。

私たちが神様をあがめて賛美するとき、神様に栄光が帰されます。そして神様はそのことをたいへん喜ばれるのです。そして私たちのために御業を成してくださいます。

ヨシャパテは苦難に直面したとき、人に頼りませんでした。自分にも、お金にも頼りませんでした。神様を見上げ、神様に心を注ぎだしたのです。「わたしが戦う」という神様のお声があった時、ヨシャファテは、自分にできる最善を考えました。それは神への賛美だったのです。私たちにも与えられているこの賛美という捧げもの、これを私たちもさらに捧げていきましょう。大事にしていきましょう。集まりの付け足しではないのです。これは神への清い捧げものです。私たちの生活の中に賛美を位置付けていきましょう。

  

 

 

 

 

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