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ノアの箱舟① 人間の悪の増大

創世記6章
5  主は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。
6 それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。

今日から3回シリーズでノアの箱舟について学んでいきましょう。今から、約5000年前の出来事として記録されています。この地上に神様の手によって創造された人間及び動物たちが、わずかな数を残して完全に滅ぼされてしまうという記録です。

この記事を読むと、愛の神であるはずのお方が、なぜそこまで厳しいことをされたのだろうかと思います。

しかし、聖書の表現は、あまりにも強烈です。
5~6節、11~12節をもう一度読みましょう。
5  主は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。
6 それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。
11 地は神の前に堕落し、
地は暴虐で満ちていた。
12 神が地をご覧になると、見よ、それは堕落していた。すべての肉なるものが、地上で
自分の道を乱していたからである。

人の悪が増大したとあります。そして心に計画することは、必ず悪に染まったとあります。そしてその表現はもっときついものとなります。堕落して暴虐で満ちたとあります。そして自分の道を乱していたとあります。聖書の中で、これほどの表現がなされているところは他にありません。

自分の道を乱すということは、人間としての尊厳を失っていることです。まるで知性のない動物のようにやりたい放題に生きていたということです。具体的な表現を神様はあえてしていません。あまりにもひどい姿があったのだと想像します。

6節には、「地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。」とあります。非常に素晴らしかった人間たちが、あまりにもかけ離れた姿になっていました。神様のお心からあまりにも反れていました。

その原因は何でしょうか。これは人が神に背く罪が原因です。アダムとエバがどのような罪を犯してエデンの園を出されたのか思い出してみましょう。

ヘビから騙されて「食べてはいけない」と言われていた木の実からとって食べたことから始まっています。「あなたはこの木の実を食べると目が開かれます。そして神のようになるのです。善悪を知るようになります。かしこくなります」

神のようになるという、この言葉を聞いて、騙されてしまいました。このことは自由意思を与えらえていた人間の大きな背きの罪です。「自分が神のようになって、自分の生きたいように生きたい。だれからも指図を受けたくない、神様の指示に従わなくても自分で善悪を判断して行動したい。自分の自由にやりたいことをやりたい。」

神様に従わないで自分の思いどおりに生きていきたい、それが人間の罪の始まりでした。自分で判断したい。でも神様を離れて人は正しい判断をすることができません。私たちには私たちを滅ぼそうとする敵がいるからです。敵の策略に騙されてどんどん堕落していくわけです。

1 さて、人が大地の面に増え始め、娘たちが彼らに生まれたとき、
2 神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、それぞれ自分が選んだ者を妻とした。
3 そこで、主は言われた。「わたしの霊は、人のうちに永久にとどまることはない。人は肉にすぎないからだ。だから、人の齢は百二十年にしよう。」
4 神の子らが人の娘たちのところに入り、彼らに子ができたそのころ、またその後も、ネフィリムが地にいた。彼らは昔からの勇士であり、
名のある者たちであった。

2節に不思議な表現があります。神の子らが、人の娘を妻にしたという表現です。神の子らとは誰のことでしょうか。いくつかの説があります。一番目は、神を信じる人たちのことです。二番目は、天使たちのことです。

人の娘たちが美しいのを見たとありますので、どうも人間ではないと思われます。二番目の天使たちを指していると考えられます。しかもこの天使たちは、堕落した天使たちです。その結果、巨人ネフィリムが生まれたわけです。堕落した天使と人間との混血が生まれてきたということです。どうしてそのようなことが起きたのでしょうか。これは、堕落した天使たちが、神様が定めた秩序に逆らったということです。天使は結婚しないように定められています。

ユダの手紙を見てみましょう。
1:6 またイエスは、自分の領分を守らずに自分のいるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日のさばきのために、永遠の鎖につないで暗闇の下に閉じ込められました。

これからすると、ノアの大洪水の滅びは、人間の罪深さだけでなく、サタンの策略によって堕落した世界の結果だったということができます。

しかし、このノアの大洪水は、この5000年前のできごととして完結していません。イエス様が次のようにおっしゃっているからです。

マタイ24:21,35-39をお開きしましょう。
24:21 そのときには、世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです。
24:35 天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。
24:36 ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。
24:37 人の子の到来はノアの日と同じように実現するのです。
24:38 洪水前の日々にはノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。
24:39 洪水が来て、すべての人をさらってしまうまで、彼らには分かりませんでした。人の子の到来もそのように実現するのです。

ノアの箱舟は、現代に生きる私たちのための教訓であり、救われるためのモデルでもあります。やがて世の終わりがやって来るとイエス様は語られました。もう一度、この地上に戻って来ると言われました。

しかしその時は、大きな苦難の時であり、この地上が裁かれるときです。人々は、ノアの時と同じように、食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしているというのです。終わりが目の前に迫っているのに気づかないということです。

でも、救われる方法があります。
イエス様は言われました。ヨハネ14:6を見てみましょう。
14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。

わたしを通って、信じる者は救われますよと言っておられます。ノアは神様のお言葉に従って、忠実に箱舟造りに励みました。そして、自分の家族を間違いなく箱舟に載せたのです。そして箱舟の乗った人々、動物たちは大洪水から救われて生き残ったのです。
同じように、イエス様を信じる人たちは、ちょうど箱舟に乗るようにイエス様の完全な救いを体験します。この世の終わりのさばきのときに、滅びに行かないということです。今はまだ救いの時です。この尊い神からのプレゼントであるイエス様を受け取っていきましょう。


   

 

 

 

 

 

 

 

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