【テキスト】ルカ5:4-11
5:5 すると、シモンが答えた。「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう。」
5:6 そして、そのとおりにすると、おびただしい数の魚が入り、網が破れそうになった。
さきほどお読みした聖書に魚を捕る場面がでてきます。ペテロやアンデレ、ヨハネやヤコブといった人たちが夜、ガリラヤ湖で漁をしていたのです。網を下ろしなさいと書かれていますが、網を打つ、網を投げるという表現の方がわかりやすいと思います。
深みに漕ぎだして網を投げてみなさい、と言われました。
「ええっ。何言ってんだい。俺たちはプロの漁師だぜ。もう夜が明けちまったんだい。魚が獲れるはずがないじゃないか。」ペテロが心の中でつぶやきました。
ガリラヤ湖の漁は、夜行うことが一般的でした。松明を焚いて魚を呼び集めて、集まってきたところを狙って網を打つわけです。
でも、その日は不思議なことに1匹も取れませんでした。
たくさん獲れていたら、ペテロは心のつぶやきではなく、本当の口のことばでつぶやいていたと思います。「先生、私たちはプロですよ。見てください。このとおり、私たちの方法でちゃんと取れているのですから、素人は口を出さないでくださいよ。」といって、イエス様の言うことは話半分程度にしか聞かなかったでしょう。
でも、イエス様はそのことをよくご存知でした。だから、ペテロたちのプライドを打ち砕いたのです。その日は何にもとれなかったのです。ペテロたちは、何の魚の漁獲もなく、がっかりしていたのです。そこでイエス様が声を掛けました。もう一度、舟を出して網を投げてみなさい。
ペテロは、イエス様のお言葉に従うことにしました。そして網を投げてみました。するとどうでしょう。
大量の魚が網に入っていたのです。ものすごい大量の魚が入っていました。網がもう破れそうになってパンパンになっていました。「おーい。助けに来てくれー。」と仲間の漁師に助けを求めました。
するとどうでしょう。小舟が二艘とも沈みそうになったというのです。それほど大漁だったのです。いままでに一度も経験したことのない体験でした。神様が下さる恵みは何と大きいことでしょうか。神様は決してケチなお方ではないということがよくわかります。
なぜでしょうか。これは神様の願い、人々が救われることは神様の願いだからです。
この大きな奇跡を体験したペテロに、イエス様は声を掛けました。
イエスはシモンに言われた。
「恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるのです。」
ペテロは、「私のような人間からは離れてください」と言いました。でもイエス様は、「恐れなくてもいいのです。あなたを人間を捕る漁師にしてあげよう」と言われました。
人間を捕る漁師って何でしょうか。人々を捕まえてひどい目に合わせるのではなく、人々を救いに導く仕事のことです。これが人間を捕る漁師です。
捕られた人というのはどうなるのでしょうか。イエス様を信じて罪ゆるされて、永遠のいのちに預かるわけです。
私達もどこかでイエス様に出会いました。それは、私たちを導いてくれた人がいたからです。その人は、人間を捕る漁師だったわけです。
神様が、私たちに一番願っておられることは何でしょうか。私たちに何をしてほしいと願っておられるのでしょうか。
神様に祈ることでしょうか。神様を賛美することでしょうか。献金することでしょうか。もちろんこれらのことを神様は願っておられます。神の国とその義を求めることを第一にする必要があります。しかし、神様が切に願っておられることが他にもあります。
それは、人々が救われることです。
Ⅰテモテ2章4節をお開きしましょう。
2:4 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。
救われること、真理を知ることを願っておられます。真理とはなんでしょうか。真理とは、イエス様ご自身のことです。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」とイエス様は言われました。イエス様を知るようになると救いに導かれるのです。
これはイエス様のご命令です。何もしゃべらずじっとしていなさい、とは言われませんでした。全世界に出ていきなさい。すべての人に福音を宣べ伝えなさいと言われました。
福音を伝えることは、聖書を何年も何年も学ばないとできないのではありません。あのサマリアの女の人を考えてみましょう。イエス様と出会ってすぐに町に出かけていきました。「皆さん、わたしのことをすべて言い当てた預言者と出会いました。この方が救い主キリストではないでしょうか。」すぐに伝道者になりました。一緒です。イエス様に出会ったことを話せばOKなのです。
神様は人々が救われることを願っておられます。このことを心に受け止めて、主のお役に立つ者となりましょう。