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火をもって応える神

【テキスト】Ⅰ列王18章16-39

37 私に答えてください。主よ、私に答えてください。そうすればこの民は、主よ、あなたこそ神であり、あなたが彼らの心を翻してくださったことを知るでしょう。」

38 すると、主の火が降り、全焼のささげ物と薪と石と土を焼き尽くし、溝の水もなめ尽くした。

39 民はみな、これを見てひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です」と言った。

 

預言者エリヤが宣言した飢饉は3年続きました。この3年の後に、神様からお言葉がありました。「アハブ王に会いに行け、この地に雨を降らせよう。」

 

神様は、憐み深いお方ですね。人々を悔い改めに導くお方ですが、全員飢饉で滅ぼそうとは思っておられませんでした。エリヤは王様のところに会いに行きました。

 

この飢饉で皆が苦しみました。大きな試練の時だったのです。食べ物も十分に得ることができずに皆が苦しみました。

 

エリヤは、その中にあって奇跡的に養われていました。最初は、カラスがエリヤを養いました。つぎにツァレファテのやもめがエリヤを養いました。このツァレファテのやもめはもう死ぬ寸前でした。そこにエリヤが訪問して奇跡が起こってきたのです。

 

王様は、この飢饉がどのようにして始まったのかをよく知っていました。突然エリヤが目の前に現れて、飢饉を宣言したからです。Ⅰ列王17:1 「私が仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによるのでなければ、ここ数年の間、露も降りず、雨も降らない。」

 

あなたはこの地を支配してる王様です。でも天地を支配する全能の神様は生きていて、ここ数年飢饉を宣言しています、と王様に向かって大胆に宣言したのです。

 

しばらくすると、エリヤの宣言したとおりの大飢饉が起こり始めました。全然雨が降ってきません。明日になったら降るのでは? 明日になったら降ってくるに違いない、そう信じていました。しかし、来る日も来る日も雨が降ってきませんでした。

 

とうとう、王は怒り始めます。「あの預言者エリヤがすべて悪い。こんな宣言なんかしおって。エリヤをとっ捕まえろ」イスラエル中くまなく、エリヤを捜索したのです。でもエリヤは、神様によって隠され守られていました。

 

この大飢饉の目的は何だったのでしょうか。

17-18節をお読みいたしましょう。

17 アハブがエリヤを見るやいなや、アハブは彼に言った。「おまえか、イスラエルにわざわいをもたらす者は。」

18 エリヤは言った。「私はイスラエルにわざわいをもたらしてはいない。あなたとあなたの父の家こそ、そうだ。現に、あなたがたは主の命令を捨て、あなたはバアルの神々に従っている。

 

これが大飢饉、大干ばつの原因であり、このわざわいは、それを悔い改めに導くためのものでした。私たちがわざわいに会う時、いくつかの目的があります。

①悔い改めに導くため

②神様の訓練のとき

③このわざわいを通してみわざを示すため

 

神様は、決してむやみに私たちがわざわいに会うのを許さないお方です。詩編には「あなたの足が石に打ち当たらないようにする」とあります。ですから、もしわざわいにあったら、そのどれに該当するのかをよく吟味して、導きに従っていきましょう。

 

もし悔い改めが必要なら、イエス様の十字架の前に素直に出ていきましょう。「どうぞ、わたしのこの悪い心をゆるしてください。この悪い行い、悪い罪を赦してください」と具体的に悔い改めましょう。

 

エリヤはさらに悔い改めに迫るため、一つの提案を持ちかけます。「さあ、イゼベルの雇ったバアル預言者を集めなさい。どちらの預言者に神が応えるのか、勝負しようではないか。」

 

エリヤは、たきぎと牛を2頭用意させました。そして、祭壇を造らせて言いました。「これに火をつけてはならない、火をもって応える神がまことの神だ。さあ、自分の神に祈ってみよ。」

 

バアルの預言者たちは、この勝負に立ち向かいました。自分たちの神の名を呼んで火を下してくださいと祈ったのです。朝から3時間、4時間叫び求めました。でも何にも起こりませんでした。

 

昼も過ぎて3時ころになっていました。いよいよ、エリヤの番です。彼は、まず、壊れた主の祭壇を築き直しました。

主の祭壇を築き直したという言葉は不思議な言葉です。これは、かつてここで、まことの神、主に全焼のいけにえを捧げていたということがわかります。そしてそれがほったらかされていた、そのために壊れていたということがわかりますね。これはイスラエルの現状、その信仰を表していました。信仰が失われていました。

 

エリヤはまず、この祭壇を直したのです。そして牛のいけにえをたきぎの上にのせて、さらに水を注がせました。4つの瓶の水が注がれました。

 

これを3回行いました。もう祭壇全体が水浸しになったのです。なぜそのようなことをしたのでしょうか。ただえさえ、火を付けずに、いけにえを焼こうとしているのに、さらに不利になることをどうしてしたのでしょうか。

 

これは、このますます不可能に思えることをなさるのがまことの神様であるということを示すためにわざわざ水を注いだわけです。

 

エリヤは祈りました。「この民があなたこそ、まことの生ける神であることを示してください」

 

何が起きたでしょうか。天から主の火が降ってきたとあります。そして、牛の全焼のいけにえも、薪も、石も、土も、溝の水もすべてを焼き尽くしました。

 

集まっていたイスラエルの民はどうしたでしょうか。

この様子を見て、神様の前にひれ伏しました。「主こそ神です。主こそ神です」

 

やっと、民はまことの神様に気づくことができ、悔い改めることができました。

 

エリヤが疑うことなく、火をもって答える神がまことの神だと宣言できたのはどうしてでしょうか。

 

それは、毎日、神の超自然を体験できたからです。毎日、カラスが食べ物を運んできました。

 

やもめの家にいた時には、毎日、瓶の粉が増えていました。壺の油が増えていました。

 

毎日、毎日神様の超自然の養いを体験したのです。

 

わたしたちも祈りとみ言葉の生活の中で、生ける神の超自然を体験することができます。その中から、いつでも、どんなときでも神様に信頼できる信仰を養っていきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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