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聖霊があなたがたの上に臨まれるとき

使徒の働き1:3-8、2:1-13

1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」

 

弟子たちが待ち望んで祈りに専念していた時、ペンテコステの日にこの出来事が起こりました。このペンテコステとは、何でしょうか。これは、ギリシャ語で50日目という意味です。大麦の収穫が始まる時に初穂の祭りがあります。この初穂の祭りから50日を数えると、小麦の収穫が始まります。それがこのペンテコステというお祭りなのです。

 

毎日、毎日、イエス様が命じられたこと、エルサレムに留まって父の約束を待ち望みなさい、ということを実行していました。ともに集まって心を合わせて祈っていたのです。父の約束とは何でしょうか。

助け主を送ってくださるという約束です。助け主とは、真理の御霊、すなわち聖霊様のことなのです。ちょうどペンテコステの日になって、すごいことが起きました。使徒の働き2章を見てみましょう。

2:1 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。

2:2 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。

2:3 また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。

2:4 すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。

 

ここに、天から激しい風が吹いてくるような響きが起きました。「ゴー、ピュー」という音でしょうか。ここ、沖縄は台風をよく体験するので、激しい風の音はよく聞きます。でもこの激しい音は、天から響いていました。

そして炎のようなものが分かれて、ひとりひとりの上に舌のような形で現れました。イエス様が水のバプテスマを受けられた時、天から聖霊が下って来られました。この時の聖霊様は鳩のような形をされていました。しかし、この時は、炎のように燃えているようで、かつ舌のような形を表しています。ここに、3つの象徴的なものが出てきます。風、炎、舌です。これは、聖霊様を象徴しています。

 

4節をもう一度見てみましょう。「 すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。

 

この時、皆が聖霊に満たされたと表現されています。このペンテコステのできごとは、聖霊に満たされる出来事でした。満たされるというのは、ちょうとグラスに水が注がれて、どんどんどんどん注がれて、さらに外にまで溢れてくる、そのような状況です。これが聖霊に満たされることです。


このとき御霊が語らせてくださるとおりに、他国のいろいろな言葉で話し始めたと記されています。つまり、このとき外国語を話し出したということです。これは、聖書では異言ということばで表現されています。ひとりひとり違う外国語を話しました。しかも御霊が語らせてくださったのです。自分で、自分勝手に話し出したのではなく、聖霊様との共同作業だったのです。

 

大きな風が天から響き渡る音を聞いて、大勢の人たちが驚いて集まってきました。「なんだろう、なんだろう、何が起きたのだろう。」

 

ところが集まってみると、いろんな外国語が聞こえてきました。よく聞いてみると、この弟子たちが、自分たちが住んでいる外国地域のことばを話しているではありませんか。この集まってきた大勢の人たちは、このペンテコステの祭りを祝うために外国地域からイスラエルに戻ってきていた人たちでした。

 

よく聞いてい見ると、神の御業を語っていたというのです。おそらく、イエス様が何のために来られたのか、何のために十字架にかかって死なれ、よみがえられたのか、そして、神様をほめたたえる言葉を語っていたと思います。これは、人間の力ではなく、聖霊様の御業です。

 

この聖霊のバプテスマ、聖霊に満たされる体験は、神様からの大きな恵です。プレゼントです。神様がこれを待ち望んで受け取りなさいと命じられているわけです。

 

ですから、わたしたちはこれを喜んで受け取っていきましょう。1:8には「 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。」と書いてありますね。これはあたらしく聖霊様の力を受けることです。

 

どんな力でしょう。イエス様の証人となる力です。そしてイエス様にお仕えすることのできる力です。クリスチャンとして歩み始めると、いろんな弱さを覚えることもあります。でも大丈夫です。あたらしい力が着せらせるからです。聖霊様の力が与えられるからです。これは、自分の力で頑張らなくてもよいということです。感謝ですね。これは大きな恵です。わたしたちは聖霊様に頼って生きていくことができます。