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超自然の養い

Ⅰ列王記17章5-6

5 そこでエリヤは行って、主のことばどおりにした。彼はヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに行って住んだ。

6 何羽かの烏が、朝、彼のところにパンと肉を、また夕方にパンと肉を運んで来た。彼はその川から水を飲んだ。

 

エリヤは、神様から王様のところに行けと命じられます。そこでアハブ王のところにやって来ました。突然王様に宣言します。「神様の命令です。ここしばらく、2,3年の間、雨も露もこの地に降ってきません。再び降るようになるには、わたしの宣言が必要です。」

 

王様は、びっくりします。なんという言葉か、大きな戸惑いを感じます。王様に面と向かってこんなことを言う人はいませんでした。エリヤの宣言は、神様からであるという、上から来る命令、絶対的な命令だと言いました。たとえ王であろうとも逆らうことはできない、というものでした。

 

王様といえば、部下に「これをせよ」と言えば必ず従わなければいけない、そのような強い権力を持っていますね。その王様に面と向かって宣言しました。「もう雨は降らない。この飢饉が取り除かれるには、わたしのことばが必要です」と。王様の上にくる権威があることを示したのです。

なぜ、このような厳しい宣言が神様から出たのでしょうか。

 

それは、あまりにもひどい神様への反逆があったからです。王様も人々も天地創造の神様ではない、ほかの偶像の神様を拝んでいました。何度も何度も神様は警告をしましたが、いっこうに聞こうとはしませんでした。それで悔い改める機会を与えるために、飢饉を宣言したのです。

 

王さまに宣言した後、エリヤはどうしたでしょうか。すぐに逃げていきました。神様が特別にエリヤを隠しました。「ケリテ川のほとりに身を隠せ」と言われました。ケリテ川とは、エリヤが生まれ育ったところです。エリヤにとっては、なじみのある、庭みたいな場所です。どこどこに行けば隠れる場所があるということがよくわかっていました。その川のほとりです。そこには、飲む水がありました。生きていくためには大切な水のある場所に導かれたわけです。

 

エリヤは、うまく身を隠していました。そのあと、エリヤのことばの通りに大飢饉がやって来ました。王様はエリヤを国中くまなく探させました。「飢饉を宣言したエリヤはどこだ、見つけ出せ、そして飢饉が解除されるようにさせよ。」そのような命令を出したのです。

 

身を隠しているエリヤのために、神様は特別なことをしてくださいます。エリヤ自身も、飢饉に苦しめられたのです。食べ物に困りました。住んでいるところは川のほとりです。水しかありません。畑も、穀物もありません。牧場もありません。家畜もいません。水だけではお腹が満たされないのです。

 

でも神様は特別な方法でエリヤを養いました。カラスたちに食べ物を運ばせたのです。それも1回や2回ではありません。毎日、朝と夕方、数羽のカラスが食べ物を運んできました。この時、エリヤは、神様の超自然的な養いを体験します。ああ。神様が直接自分を養い、生かしてくださった。自分の力ではない、神様が自分を直接生かしてくださった。このことを長い期間、川の水が枯れるまで毎日続きました。朝と夕方、カラスたちが忠実に食べ物を運んできたのです。

 

マタイ4:4をお読みしましょう。

4:4 イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」

 

この聖書は、ただの書物ではありません。神様が書かれた私たちへのラブレターといってもいいでしょう。この書物は、毎日私たちに必要な生きた言葉を与えてくれるのです。

 

ヘブル4章12節には、「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。」とあります。

 

イエス様が「わたしはいのちのパンです。」と言われたのは、わたしを食べなさい、わたしが与える言葉を受け取りなさいということです。聖書の中からあなたに語りますよ。ですからこれを受け取りなさい。わたしから直接励ましと慰め、喜びと平安を受け取りなさい、ということです。これはただの書物を読むこととは全く違います。神様が直接養ってくださるからです。これは超自然的な養いです。私たちもエリヤのように超自然的に養われることができます。

 

ですから、私たちは、毎日、毎日、聖書の言葉を読んでいきましょう。この聖書が、私達に栄養を与えるもの、エネルギーのもとであることがわかったら、聖書をないがしろにはできないと思います。