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従順の人

【テキスト】マタイ3章13-17

13 そのころ、イエスはガリラヤからヨルダン川のヨハネのもとに来られた。彼からバプテスマを受けるためであった。

14 しかし、ヨハネはそうさせまいとして言った。「私こそ、あなたからバプテスマを受ける必要があるのに、あなたが私のところにおいでになったのですか。」

15しかし、イエスは答えられた。「今はそうさせてほしい。このようにして正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです。」そこでヨハネは言われたとおりにした。

 

イエス様は、洗礼に対してどういう態度をとったのでしょうか。イエス様も何と洗礼をヨハネから受けたのです。

 

ヨハネの主張は何だったでしょうか。「悔い改めよ。救い主が来られる」ということでしたね。ここに、救い主がいるのです。イエス様は、救い主であり、罪の悔い改めをする必要がありませんでした。神の御子です。天から下ってきたのです。でも、イエスさまは人としてお生まれになりました。人としての模範を示されたのです。大勢の人々がやったように、ヨハネから洗礼を受けました。模範を示されたのです。イエス様は、へりくだったお方で本当に従順なお方でした。

 

洗礼を受けられた時、何が起きたでしょうか。なんと、「天が開けた」と書いてあります。これはギリシャ語の原語ではアノイゴという語が使われています。口をあける、目をあける」のあけるという言葉が使われています。天が見えるようにして開いたということになります。

 

そしてそこから、見える形で聖霊が鳩のようにして下って来られた、そしてイエス様の上に留まられたということが起きました。鳩という鳥は、聖霊様の象徴として表現されます。ここではまさしく鳩の形をしてとなっています。

 

ヨハネは前もって神様からお告げを受けていました。「救い主が来られるとき、聖霊が天から下ってその上に留まるのをあなたは見ますよ。」その様子が鳩のようだったとヨハネは記述しています。聖霊は霊なる存在ですので、肉眼では見えませんが、このときだけは、特別に、ヨハネにもわかるようにはっきりとした形を示されました。

 

わたしたちが洗礼を受けるとき、目に見える形で何か変化が起こるかどうかわかりません。何も見えないかもしれないし、見えるかもしれません。あまり聞いたことがありません。でも洗礼を受けることを通して、神様は新しい始まりを与えてくださいます。新しく道を開いてくださいます。

 

Ⅱコリント5:17 「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」とあります。その直前までの生活よりもさらに新しくしてくださいます。これが洗礼です。そしてこれは、新しい恵みなのです。祝福です。

 

ルカによる福音書 15:10

「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」

とあります。天国で、喜びがわき起こると書かれています。これを記念して天国ではパーティが開かれて」いると思います。それくらい、神様も、み使いも大喜びする出来事であるということです。これが悔い改めであり、洗礼であります。

 

洗礼は、証として公に信仰を告白する行為でもありますが、これは何も恐れることではありません。喜びの訪れであります。このことを心に留めていきましょう。