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口から出す言葉と信仰の関係②

【テキスト】マルコ11章21-23

11:21 ペテロは思い出して、イエスに言った。「先生、ご覧ください。あなたがのろわれた、いちじくの木が枯れています。」

11:22 イエスは弟子たちに答えられた。「神を信じなさい。

11:23 まことに、あなたがたに言います。この山に向かい、『立ち上がって、海に入れ』と言い、心の中で疑わずに、自分の言ったとおりになると信じる者には、そのとおりになります。

 

今日は、私たちの口から発する言葉がどれほど力あるのかを見ていきましょう。

この出来事は、イエス様が十字架にかかられる数日前の出来事です。季節でいうと、イースターより、1週間くらい前の話ですので3月から4月にかけてということですね。

 

イエス様が道を歩いていると、葉の茂っているいちじくを見つけました。この時期のいちじくは、青い実をつけ始めるころだそうです。熟した実は取れません。

 

ここでイエス様が、見に行ったのは青い実だということがわかります。農夫はときどき、熟した実ではなく、この青い実を食べるそうです。甘くはないと思いますが、食用になるそうです。

 

しかし、この木には青い実さえも何一つできていませんでした。つまり、このあとも熟する実をつけることがないということです。

 

このいちじくには、深い意味が隠されています。いちじくというのは、聖書ではイスラエルを指しています。実のならないイスラエルということです。神の御子キリストがこの地上に下って来たのに、それを迎えることができない、その準備ができていない、不信仰の姿です。

 

多くのイスラエル人が聖書のお言葉の近くにありながら、悟ることをせず、うわべの信仰だけを持ち続けていました。神様のお心から遠く離れていました。なかなかその罪を悔い改めませんでした。

 

イエス様は、イスラエルの不信仰を示すためにあえてこのいちじくの木に近づいたのです。そして何にも実がないのにあきれ果てて、もう実がならないようにと言われたのです。これは、これからのイスラエルに対する預言でもありました。

 

イエス様が天に上られて35年後にイスラエルは、ローマに滅ぼされてしまいます。実のならない国となってしまいます。1948年まで国家として存在しなくなります。

 

実際、このイエス様がのろわれたいちじくの木は、枯れてしまいます。なんと根元から枯れていました。普通、木は、葉が枯れ、枝に元気がなくなり、最後に根っこも枯れます。この時はいっぺんに枯れました。根っこも全部枯れていました。ペテロは、これを見て驚きました。

 

でもイエス様は、言いました。あなたも同じようにすることができますよ。この山にむかって、動いて海に入れと命じるなら、その通りになると言われました。

 

ここで、イエス様は、私たちの命令、告白の力について言いました。信じて命じるなら、言ったそのとおりになると私たちにチャレンジされました。

山とはなんでしょうか。山は目の前に高くそびえるものです。問題です。課題です。わたしたちが必死で求めている、なかなか動かないものです。でもイエス様は、その問題や課題について「動いて海に入れと命じなさい」と言われました。海とはなんでしょうか。沈み込んでもう二度と浮き上がってくることのない場所です。問題や課題に命じると、そのように、二度と私たちの目の前に立ちはだかることのない、そのような場所に動いて行って、解決してくださるという約束です。これは、神様の約束です。しかし、その前に信じて行うことが重要です。信じて疑わずという条件が付いています。信仰もってチャレンジしていきましょう。

 

次に、私たちの舌の働きについて見ていきましょう。ヤコブ3章を開きましょう。

ヤコブ3章1-10をお読みいたしましょう。

 

3:2 私たちはみな、多くの点で過ちを犯すからです。もし、ことばで過ちを犯さない人がいたら、その人はからだ全体も制御できる完全な人です。

 

私たちの発言する告白は、私たちの人生を引っ張るものでもあります。また、口の言葉は、船の舵のようだと言っています(4節)。大きな船の進む方向は何で決まるでしょうか。この舵できまります。舵を動かすことによって進む方向を変えることができます。舌、すなわち口の言葉はそのように人生を変えると言っています。

 

また、舌の言葉は、火のようだと言います(5,6節)。火というのは人間の生活になくてはならないものですが、ときどき、山火事を起こしたりしてたいへんな損害を与えたりもします。そのように、舌の言葉は、人を生かしたり殺したりするわけです。

 

だから、私たちは意識的に、大事に口の言葉を用いていく必要があるわけです。これをいい加減にして放って置くと、たいへんな方向に進むこともあるわけです。私たちには聖書のお言葉が与えられています。ですから、毎日、このみ言葉を握って、正しく口の言葉を用いていきましょう。