· 

父よ、彼らの罪をお赦しください

来週、今度の日曜日はイースター(復活祭)

であります。4月9日にあたります。イエスさまが死んで葬られて、墓の中からよみがえった、そのよみがえりを記念するお祝いです。復活があるということは、その前に死があるということです。今週一週間をを受難週と言います。イエス様が苦しみを受けられたことを心に深く刻み付ける週間です。

 

イエス様は、十字架でどのようなお言葉を残されたのでしょうか。ルカ23章33-34をお読みいたしましょう。

 

33 「どくろ」と呼ばれている場所に来ると、そこで彼らはイエスを十字架につけた。また犯罪人たちを、一人は右に、もう一人は左に十字架につけた。

34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」彼らはイエスの衣を分けるために、くじを引いた。

 

イエス様は、十字架の上で私たちのために祈ってくださいました。34父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」最後の最後まで、イエス様は人々を赦すことに徹しておられました。どんなに人々から悪態をつかれても、赦すことに徹しておられました。もう死にかけて息も絶え絶えの時に、だれかのために祈ることができるでしょうか。普通は自分のことだけで精一杯です。でもイエス様は、最後の最後まで祈ってくださいました。

 

この祈りは、十字架にかけた兵士たちだけのためではなかったのです。わたしのための祈りでしたあなたのための祈りでした。言葉にはしませんでしたが、どうぞ、後から生まれてくる〇〇の罪を赦してください、と祈ってくださいました。

 

だから、わたしたちは、いつでもイエス様の十字架のもとに来て祈ることができます。「どうぞわたしの罪をゆるしてください」と祈ることができます。

 

私たちの内にある一番最大の罪とは何でしょうか。

自分には大きな罪はありません、と言うかもしれません。ちょっとした小さな罪しかありません、と言うかもしれません。人のものを盗んだこともありません。人を殺したこともありません。人を殴ってけがさせたこともありません。人を騙したこともありません。警察に捕まるようなことは何ひとつしていません。わたしには大きな罪はありません、と。

 

罪とはなんでしょうか。警察につかまるような行いだけが罪ではないのです。聖書のいう罪とは、神様のお心から離れていることです。神様に背くことです。神様を神様としてあがめない自分勝手な生き方です。神様に従おうとしない自己中心の生き方、これを聖書は罪といっています。的外れ、これが罪なのです。

 

私たちは、先週イザヤ53章6節を学びました。「私たちはみな羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った」と。

 

「大丈夫、イエス様がいなくても一人で生きていける。わたしにはイエス様とは、関係ない。わたしは自分の生きたいように生きる。やりたいようにやりたい。誰からも指示を受けたくないし、自分の思うとおりに生きていきたい」といって多くの人は、イエス様を無視して生きていくのです。

 

これが自分勝手な道です。これは創造者の神、天地万物を治めておられる神様への反逆ですね。これが人間にとって一番大きな罪です。これは、警察にはつかまりません。でも神様の前には、神様を悲しませる大きな罪です。

 

もし、そのような自己中心の思いがあるならば、これをわたしたちは悔い改めて捨てる必要があります。神様の前にもう一度、どうぞ、この罪深い者を赦してください、どうぞ、自己中心で、神様に背中を向けていたことをお許しくださいと祈る必要があります。

 

キリストは、最後の最後まで、実に十字架の上で、究極の苦しみの中で私たちのために赦しを祈ってくださいました。今週、キリストの苦難を思い、そのみわざに感謝いたしましょう。